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呼吸をするって生きること。
瞑想って、「すごくいいから習慣にしたほうがいいよ。」
いろんなところでよく耳にする「瞑想」。気にはなっていたけれど、なんだか難しいもののような気がしてた。
どうやって自分を無の状態にするの?
瞑想中にモノを考えたらダメなのかな?
自分ひとりでは、どこから何をしたらいいのかがよく分からなくてチャレンジするタイミングを失っていたので、今回が初挑戦。
ドキドキしながら「呼吸法と瞑想」の講義に挑みました。
12月から、大人の学びの場「自由大学」にて、共生のシャーマニズム学を受講しています。今回は2回目。
講義では、まずは呼吸法から始まりました。
正座をして、背筋をピンと伸ばす。
両手をグーにして肩より前に。思いっきり息を吸いながら、両手を真上にあげる。そして勢いよく息を吐きながら下ろして、手をグーに。
これを割と早いペースで何回か繰り返していく。
吸ってあげて、吐いておろす。
ごくごく単純なんだけどね、これが思ったよりキツかった。
吸って、手を上げる。
あれ腕が痛いぞ筋肉が疲れる。(これは私が単に運動不足なだけかも)あれれなんかあんまり息が吸いきれない。苦しい。
と思ったら今度は手を下ろして、息を吐かなきゃ。はあーー。吐き切れる前に、また息を吸うターン。吸って吐いて吸って吐いて。
早いし激しいし、アップダウンを繰り返してる感じがとても苦しい。過呼吸になりそう。吸って吐いて、呼吸法を習っているのに、深ーい呼吸をしているのに、謎に酸欠のような感覚。
3ターム目に入ると少し慣れて、呼吸が深くなっていったような気がする。ちょっとだけど、深く吸えるようになった。だけどまだキツい。
そっと目を開けると、始める前より、聞こえる音と見える世界がクリアになっている気がする。集中できてるのかな?でも、なんとなーく体と意識がふわふわしてる感覚もあった。
そんな、ふかーくはあはあ呼吸が整い切らないまま瞑想タイムへ。近しいのは、ひどい過呼吸がようやく落ち着いてきた頃って、まだ呼吸が安定しなくて、なんでか深く長く激しめに息を吸ってしまう状態になるんだけど、そんな感じ。
瞑想では、外側から聞こえる音、自分の体と、自分の考えと、自分の感情に順番に意識を向けていく。
まずは外の音。
どんな音が聞こえるか、じっと耳を澄ませた。リビングを仕切っただけの自室なので、隣のリビングで家族がガヤガヤしている音ばかりが耳に入ってくる。じーっと聞く。
続いて、自分の体に意識を移しかえる。
つま先から膝、腰、お腹、胸、のど、顔、頭。それぞれ順番にひとつずつ意識を向けていく。なんだか自分の身体の輪郭がはっきりしてきた。
その後は、自分の頭に浮かぶ考えに意識を向けていく。
「それがよい考えでも、よくないものでも。そのまま受け入れて。」と落ち着いた優しい声でインド人講師の方にナビゲートされる。なんだか心地いい。
最後は自分の感情に意識を向けて。
同じように、「それがよい考えでも、よくないものでも。そのまま受け入れて。」と講師の方の声が聞こえる。合間合間に深呼吸を挟みながら、瞑想を続けていく。
考えと感情は、何度か、空っぽになくなるまでやるのがいいのかな。2回目のターンでは、「自分の考えに意識を向けましょう。もしまだある場合は。」とナビゲートされた。
そうするうちに私の体は、「これは自分の体である」という意識が生まれてきたというか、つま先から頭まで「感覚が研ぎ澄まされた」とまではまだ行けていないけれど、普段より明らかに「感じる」ことができていた。つま先から頭までの感覚がビリビリッとなっている感じ。
さらに、手の平にエネルギーが溜まっている感覚がした。ピンポイントで手の平だけが局所的に温かくなって熱を外に向けて放っている感覚。そこからじわじわと全身に熱が広がっていくような感覚を覚えた。
これがエネルギーの高まりか!と初めて身を持って体感できたような気がする。
最後は呼吸に集中。呼吸も完全に安定していた。途中でウッと引っかかって痞えることがなく、最後まで息が吸えるようになっていた。
思考はクリア!とまではいかないけれど、心も身体も安定している感覚は確実にあった。
時折り、「笑顔で息を吸って。」と言われる。あれ私真顔で怖い顔してたかもしれないと思いながら口角をあげてみる。そしたら不思議と、さっきより息が吸いやすい。楽に自然に呼吸ができた。
やっぱり笑顔って体と心が自然体で生きるために必要なんだ。
呼吸は感情に連動している。感情は呼吸とともに動く。
怒っている時は、呼吸が浅く荒くなり。悲しい時は、吐く息が長くなり。嬉しい時は、吸う息が長くなる。
だから心を今に持ってくるには呼吸を整えるのがいいんだって。
そのための瞑想は、「自分に集中すること」ではなくて、むしろその逆で。「手放して、リラックスすること」なのだそう。そうすると眠れるでしょ?その時と同じですよ。とのこと。
呼吸を整えることは、子どもの頃の生き方に戻ることでもあって。
大人になると、過去が長くなっていく分、世の中への印象ができて、世の中の価値を理解して、それを元に物事を判断をするようになる。ないものが欲しいか、あるものを守りたいか。そんな考え方で、意識の中に執着が、少なからず生まれる。物から、人から、周りの状況から、「幸せを借りている」状態。それによって純粋に「今」を生きることができなくなり、心が「今」にいなくなる。
それはとっても心当たりがあってドキッとしちゃう。過去の現象に囚われ、未来がちょっぴり不安だったり気になったりして、今に集中し切れていない感覚はずっとある。というよりは、今の自分は、わりと純粋に「今を生きている」という感覚が強くなっているけれど、社会が求める価値基準に沿うこともしなければならないような気がして、時々それがちらついている状態。要は、大きくブレるまではいかないけれど、こう在るべきという社会的な常識に囚われている。
でも生まれたての赤ちゃんは、世の中のものに価値をまだ感じていなくて、つまりそれは赤ちゃんにとっては全てが「在る」状態なのかな。だから今にしか意識はなくて、目に映るモノ全ての価値は同等なのかもしれない。
さらに赤ちゃんは身体全体で、すべての細胞で呼吸をしていて、そのことからも「今」を最大限生きていることが分かるね。
だから、呼吸を整えることは、子どもの頃の生き方に戻ることでもある。
毎日お風呂に入って歯磨きをすることで体をきれいにするように、心の衛生/健康のために「瞑想」を毎日して、心を今に戻すことが大事なのだそう。
やっぱりどうしても社会で生きていると、過去や未来や社会で在るべき姿などから完全に離れることはできないから、完璧に離れる必要なんてきっとなくて、できないからこそ瞑想で呼吸を整えて、「今」に戻れるように軌道修正することが必要なのかなあと思う。
自分で自分の呼吸をコントロールすること。それにより心を今に持っていくことで、在るべき自分を保ち、自分の内に秘められたエネルギーを引き出して、自分の波動をコントロールすること。
自分が全体の一部になる感覚を持つこと。最初から自分自身は借り物でしかなくて、自分のものではないこと。社会から親から、全ていただきもの。という感覚と感謝を持つこと。
それが瞑想をして呼吸を整えることで得られるもの。
人が、生まれたときに最初にするのは「息を吸う」ことで、人が、一生を終える前の1番最後にするのは「息を吐く」ことなのだそう。
その間が人生で、生まれて死ぬまではずっと常に息を吸って吐いている。
呼吸は生きる全てなのかもしれない。
呼吸をするって生きることそのもの。
これまで考えたこともなかったけれど、私はきちんと呼吸ができていなかったみたい。もしかして今まで私、生きられていなかった?? 全身全霊で生きること。その、「生きる」の最大化はできていなかったのかも。
吸って吐く。単純な行為に思えてしまうけれど、とーーーっても深くて重大だった。意識して呼吸していきたいね。
▼第1回目の授業レポートはこちらから
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