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私が推しを好きでいることは虚しいことなんかじゃない

先日、わたしの推し活について親からショックなことを言われました。
同じ境遇の方がいらっしゃればと思い、今の気持ちをボトルに詰めてネットの海に流したいと思います。

推し活を辞めたいとか意味がないということは全く思っておりませんが、わたしの中にある気持ちを昇華できたらな、くらいの気持ちで書いています。
わたしの文章が下手で意図と違うものを感じられる方がいらっしゃってご不快に思われたらすみません。

画像はみんなのフォトギャラリーよりお借りしました。素敵なイラストをありがとうございます。





「推し活もいいけどさ、それって結局何にも残らなくない?」
「これだけ応援してても、大好きだとしても推しとは結婚できないよ」


これは推しのイベント参加のため週末家を空けることが多くなった私に、母がふと言った言葉。
いつも「楽しんできてね」と笑顔で送り出してくれた母がこんなことを思っているなんて正直ショックだった。ショックを受けてすぐにその感情は怒りへと変わった。

別に推しと結婚したいわけじゃないけど!?

確かに私はどちらかと言うとリアコなのかもしれない。でもそれは憧れの人に片思いしている、というような感覚で付き合いたいとか結婚したいという気持ちはない。
そもそも公表してないだけで性格も良くて声も見た目もかっこいい推しは年齢的にも既婚者だろうなと思っている。(自分で言っておいて、なんか切なくなった)

なんで「推している=結婚したい」になってしまうのか…
わたしが推しの見た目が好きなのは事実だけど。でも声や演技がいいなという気持ちから好きになったわけだし…声優として応援してるのに、なんで結婚したいという気持ちに飛躍するわけ…?

わたしは「推しと結婚できるなんて思ってないから!」と言ってこの会話を強制終了した。

それから私が推し活に出かける度に、母はまるで何事もなかったかのようにまた笑顔で送り出してくれるようになった。
遠征のために新幹線に乗って、ぼーっと景色を眺めていると「推し活もいいけどさ、それって結局何にも残らなくない?」という母の言葉が蘇ってくる。
わたしは言われた時こそ怒ったものの別に母を責めているわけではない。結婚云々のくだりはあり得ないけど、推し活をして何か残るのか?という言葉には、心に引っ掛かるものがあった。

実は大学時代〜社会人2年目までの約6年間、わたしには今の推しとは別に好きな声優さんがいた。熱量の上がり下がりはあれどその方を応援していた。
この時は関東に住んでいたので比較的イベントに行きやすかったこともあり、トークショーや朗読劇、ライブにも行った。(これは今と変わらない気もするけれど、バイト代だけでやりくりしていたので交通費があまりかからなかったのでわりと通いやすかった)
地方で行われるサイン会のために遠征したりもした。
しかし、今はどうか?その方が出ているという理由で作品を見たりソシャゲを始めることはなくなり、イベントには全く行かなくなった。
大きなきっかけのようなものはない。強いて言えばその人が演じるわたしの推しキャラが出ている作品への熱が冷めたから、それと同時にその方への興味もなくなっていったのかなと思うけど、ただなんとなくもう充分かなと思ってしまい徐々にフェードアウトしてしまった。

確かにその当時はその方を応援していて、仲良しの同担はいなくても1人で楽しめていた。その方から元気もいただいていた。
でも、興味がなくなってからはその方の情報収集用のSNSアカウントを消したり、その方が声を担当しているわたしの推しキャラが登場するソシャゲには、それまでかなりの額を課金していたが結局ログインしなくなったりと、色々な思い出を手放した。

応援をやめたのは自分が選択したことだし、この約6年間が無駄だったと思ったことは一度もない。でも何か残ったものがあるか?と言われると………当時楽しかった思い出も記憶から薄らいでいる。この時の体験が今のわたしを形成してる、というようなこともない。
結局、わたしには何も残ってないのかなと思ってしまう。

わたしは熱しやすく冷めやすいタイプだ。
俳優も声優も好きになったら過去作を見たり雑誌を買ったりするが、ある時「もう充分かな」と思ってパタリと興味がなくなってしまう。
10年以上好きな俳優さんもいるし、ずっと好きな作品もあることにはあるが、自分の中で満足したと思って気持ちが離れてしまった俳優さんや作品も多い。
いわば、わたしはかなりのミーハーなんだと思う。俳優・声優本人が好きというよりはその人が演じている役を好きになっているんだと思う。

この方への気持ちが引いていったように、今の推しに対する情熱も徐々に冷めてしまうのではないかという不安はある。推しと結婚したいとは思ってないけど、もし推しが結婚を公表したら推し続けることができるのかが不安だ。演技が好きだから作品は見るだろうけど、今までみたいにお金と時間をかけてイベントに参加するかはわからない。

それでも今の推しに対しては、今まで好きになった俳優・声優の方々とは違ったものを感じている。声も演技も見た目も、全てが大好きだから。

もしも、推しに対して「もう充分かな」と思う時が来て推しに関する思い出を手放したとしても、何も得られなかったわけではないということをここに残しておきたい。

わたしは会社のお局と折り合いが悪く、出社するのが嫌な時期があった。夜眠ると朝が来てしまう、朝が来ると会社に行かなければならないと不安になって眠れなくなったり、お局から理不尽なことを言われて倉庫やトイレで泣いたり過呼吸になったりしていた。
だが、推しの演技を見ている時は「かっこいい!」と心を動かされ、配信で彼の言葉を聞いて「わたしは頑張っているんだ」と元気と勇気をもらえた。結果的に転職してお局とはおさらばして地元に戻っている。それはそれで大変なこともあるけれど、あの環境から離れることができて本当によかったと思う。
推しはあの配信の中で特定の人に言葉を投げかけたわけではないけど、確実にわたしはその言葉に救われたし、わたしを形成する一部になっている。推しには感謝してもしきれないな…と思う。

これから推しに何があるかわからないし、わたしの気持ちに変化があるかもしれない。それでも、推しへの情熱は持ち続けていたいしこれからも応援できたらなと思う。

この記事のタイトルをどうするか悩んだ。
悩み抜いた末に、私は私自身にこの言葉を贈ろうと思う。

私が推しを好きでいることは虚しいことなんかじゃない