オーストラリアとよもぎのたまごボーロ
ナイツの塙ばりに七三に分けていたフサフサの髪の毛がスキンヘッドになっていたけど、そこは大した問題ではない。
久しぶりに会ったそいつは、びっくりするくらい変わっていなかった。
茹でれば万事OK
その幼なじみは某大手石油会社で働いていて、今はオーストラリアにある支社にいる。結婚後に奥さんとともに向こうに移住し、奥さんはそのままオーストラリアで出産も果たしていた。
小学2年生の頃にそいつが転校してきて登校班が同じになってから、付き合いはかれこれ20年。
その後私があらゆる関係を絶ってきた期間でも、そいつだけはマメに私に連絡を寄こしてくれて、今では私の友人代表のような存在である。
そいつが久しぶりに日本に帰国したため、千葉の実家で会おうという話になった。
2歳になる息子と一緒に来るというので、私はたまごボーロを作って待つことにした。卵黄、きび砂糖に片栗粉。豆乳で硬さを調節して丸めて焼いたらできる、非常に簡単なお菓子。でも今回はノーマルなもの以外にも、気まぐれによもぎペーストを混ぜて「よもぎボーロ」も作ってみた。
ペーストと言っても、その辺に生えているよもぎを摘んできて、茹でてミキサーにかけただけである。摘む時は「犬や猫のおしっこでもかかってるかもしれない」という田舎あるあるが一瞬頭をよぎったけれど、まあ、茹でるしな。
小学生のころはよくそいつとよもぎをぶちぶち引っこ抜いたり桑の実食べたり、道草くって通ったもんだ。
喋る、食べる
しれっと並べられたよもぎボーロは、そいつの息子に中々に好評だった。
「なんでこのタイミングの帰国なの?盆でも年末でもなく」
「わからん。でも、だいぶ国境は開いた」
「何それ」
「今回、3回目のワクチン接種証明したら隔離期間なしで入国できた」
「ああ、それはだいぶ開いてるな」
独特の言い回しが懐かしい。
そいつはずっと帰国できていなくて、自分たちの親にすら孫の顔を拝ませてあげられていなかったらしい。
「向こうで仕事やら育児やらについて、信頼できる人はできたん?」
「まあね。だいぶいい感じ」
「もうペラペラなん、英語は」
「いや全く。上司にずっと話しかけられてるんだけど何言ってるかわからなくて、『何?』て聞きまくってたら、ただ『お前は何歳なんだ』って年齢聞かれてただけだった」
ひたすらにたまごボーロとよもぎボーロを交互に食べる息子。喋る私たち。
そいつも私もお互い目線は息子にだけ集中する。
「オーストラリアって訛りあるんだっけ」
「結構あるね。『i(アイ)』の音が『 oi(オイ)』になったり。だから『like(ライク)』も『ロイク』って聞こえる」
「ほーん。息子くんには英語教えてるの?」
「いやまだ。なんか教えるのが早すぎると自分の頭の中の考えを整理する言語が定まらないから、あまり良くないらしいよ」
「そういうもんなのか」
まだまだ知らないことは山ほどあるもんだ。
「天候とかどうなんオーストラリアは。過ごしやすい?」
「今はクソ暑い。気温50度とか。だから息子くんも外で遊べないんだよ」
「それは衝撃だな。半袖も着れないじゃん」
そいつはどの学校のどの学年にも一人はいる「年中 半袖短パンで過ごす男」だったのだけど、冬でもその姿なもんだから、一度「なんで半袖なの?さすがに寒すぎない?」と聞いたことがある。
するとそいつは今と同じ顔で「これで過ごせたら、この先どこででも生きていけるでしょ」と言っていた。
多分、どこかしらがアホであることには違いないのだけど、そいつはそういうやつだ。
友達
地元の友人の話も淀みなくする姿を見れば、私がシャットダウンしていた期間でも、そいつは常に周りの人たちを大事にしてきたということが伺える。
いろんな話をしながら、彼の変わらない部分、ことに独特な言い回しもどんな環境にもすぐ馴染む適応力も、垣間見れてなんだかとても嬉しく思った。
友達と呼べる人間は右手で数える程度しかいないけど、大人になった今改めて、今後ともぜひお付き合い願いたいと思えるものである。
「この先どこでも生きていけるでしょ」と言い放った半袖小学生のそいつも、まさか将来自分が灼熱のオーストラリアで働いているとは思うまい。
今後お互いどうなるか分からないけど、それでもお互い老けてく変化を楽しみながら、変わらないものを懐かしがっていけたらいい。
オーストラリアにもよもぎは生えてるんだろうか。とりあえずレシピだけは、そいつに送っておくことにする。