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Jeepに乗って

白いチェロキーで現れたそいつは私の高校時代からの、そして今後もずっとつるんでいたいと思う、数少ない友人の一人である。

京葉道路から湾岸線

「俺さ、去年、突発性難聴になっちゃって。左耳が聞こえなくなったんだ」

ドライブの誘いを受けて合流し、「どうよ調子は」と挨拶がてら聞いた私に対して、友人はサラリと告白した。
私の周りでも何人か聞いたことがあったから、その事実にさして驚きはしなかったけど、彼なりに苦労してきたことがあったのだろうと思った。

「今は?」
「今はもう治った。お医者さんから、『難聴になった人のうち、完全に治る人は30%』って言われてて、残りの70%はそのまま聞こえなくなるか、治っても格段に聞こえにくくなるかって感じだったんだって。運が良かった」
「そうだったのか。ラッキーだったな」
「そうなんだよ。ラッキーだった」

そのあと、車の中で、仕事でどんなことがあったのか、あとは通院の状況だったり、今はそれについてどう考えているのかとかいう話をした。それから、すぐ別の話題に移った。

何しろ私たちがゆっくり対面するのは久しぶりで、聞きたいことも話したいことも、山のようにあった。



羽田線

正攻法では勝てないと踏んだ人が、「人とは違う方面」で個性を模索することはよくあることだと思う。このままやっていては周りの能力の高さに埋もれてしまうから、「変わった人だね」路線で生きていく。
私もその一人だったし、その友人もそうだった。だから高校で同じクラスになったとき、私たちはすぐに意気投合し、放課後よく話すようになった。

彼は特に、こだわりの強い子だったように思う。
「コーヒーは絶対ブラック一択」
「UKロック最強」
「好きなものこそ詳しくあれ」
「ウィットに富んだ回答をしたもん勝ち」
とか、今考えたら「どうでもいいよ」と言いそうなことを、お互いに伝え合っては、同じ時間を共有した。

私は「ウィットに富んだ人間」になりたがっていた彼の個性に惹かれていたし、彼もまた、私の話すことにいちいち共感してくれていた。



高速道路を走る中、まるで空をスーッと飛んでいるかのような感覚になった。
私は最近話題になっていた映画「ドライブ・マイ・カー」のみさきの運転を思い出した。主人公が評価していた乗り心地とは、こういうものを指すのかもしれない。

車は川崎を超えて中華街に到着した。遅めの昼食を私と彼はそこで取った。



台場にて

帰りがけに寄った海浜公園のベンチに座りながら、彼は話し続ける。

「これまではさ、割と『何か成し遂げたい』と思っては、自分に勝手に期待して勝手にがっかりする、を繰り返してたんだよね。でも振り返れば、自分がやっと『その域にたどり着いた』と思っていたことが、全然大したことじゃなかったりする」

彼が言っていることは、よく理解できた。

それに、自分で『そういうことか!』と真理にたどり着いた気分で嬉々として人に伝えていたことが、他の誰かの文章ではサラッと10文字程度で流されていた時なんかは特に、私もそう思う。

「でも今はさ、俺、何も成し遂げられなくても幸せだな、十分だなって、思うようになった。
特に去年、自分の耳が聴こえないことが分かった時から。世の中には本当に聴こえなくなってしまう人もいて、その中で自分は復活できて。改めて、自分が五体満足で生まれていることを、五感が問題なく使えていることを、この上なく幸せだと思った」

私はゆっくり頷いて、そして少し、寂しくもなった。

体験としてその感覚を「分かっている」彼と、彼の話で「知っている」私。そこには雲泥の差があるだろう。きっと私はしばらくすれば、自分の体が健康なことの奇跡やありがたみも忘れてしまう。

でも、同時に嬉しくもあった。
それを「分かっている」今の彼は、高校生の頃と比べて、その何倍も強いのだと思う。



再びの湾岸線

車内のBGMから、椎名林檎の「マ・シェリ」が流れる。

ああ、老いていくってなんて快感。
持っていた手段を順に 一・二・三。
捨てればいい。うらら。

 自己を形成して。
もうお互いを鮮明に写すだけ。
「マ・シェリ」歌詞より一部抜粋


聴きながら、それまでお互いが抱えていたこだわりを、この歳でようやく手放して会話できていることを、改めて噛み締めた。

お互いにいろんなことを経験して、自己を形成して、そしてここからまた、さらに成長していく。私たちはもう、自分の成長のさせ方を知っている・・・・・・・・・・・・

過去に同じ時間を共有した相手が、こうして同じ歳を重ねているという事実に、これからの人生がより一層楽しみなものになった気がしたドライブだった。



幕張のパーキングエリアで、トイレから帰る途中「スタバで何か欲しいものある?」と彼に連絡を入れた。
その返信に私は思わず笑ってしまう。

「ダークモカチップフラペチーノ。クリーム多めで」

ゲロ甘じゃねーか、ブラック党。


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