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ハイブランドを使い倒す女

本当に当たり前すぎて忘れてしまうのだけど、「モノ」に対する価値観も「大事」の定義も人それぞれだということを、母を見ているとすごく感じる時がある。 

◆◇◆

ケチャップにお茶、味噌汁に入っていた大根、そしてなぜか1m以上先のご飯つぶ。
2歳の甥っ子との食事(ならびに戦闘)は大体こんなもので、その日も「たくさん食べたね」と母は嬉しそうにテーブルを拭いていた。

だけどそのとき、私は目撃してしまったのだ。
見覚えのあるアルファベットの「H」を。

そしてそのまま、決して大げさではなく、私は漫画みたいな「綺麗な二度見」を母にくれてしまったのだった。

だってお母さん、
あなたのその手の中にある台拭きはもしかして、

エルメスのハンドタオルですよね?


なんということだ。
ハイブランドタオルが、テーブルの汚れを見事に吸収して、みるみるうちにただの台拭きへと化していくではないか!

しかもまだ古くはない。
何なら現役ハンドタオル選手権、上位狙えるやつ。


私はささっと近寄って聞いてみた。
「お母さん、これエルメスだけど、こんなことに使っちゃっていいの?」

「へえ、そうなの?拭きやすいよね」

ええそりゃ、さぞ汚れを良く絡め取ってくれるいい生地でしょうよ。

じゃなくて。

「誰の?」
「わかんない、忘れ物かな。一応LINEで『誰の?』とは聞いたんだけど、返事ないから使っちゃった」


持ち主不明のモノはみんなのモノ、というのは大家族あるあるなのだろうか。
その後も母は、私の制止を気にも留めずテーブルを綺麗にしていく。




そして一通り拭き終わると、母はそれを洗い、

「ビチャッ」

とシンクに置いた。
どうでもいいけど絞り甘すぎるだろ。

無惨な姿となった台拭きを見て、なぜか私は水から這い出た江頭2:50を連想した。
かつてまとめサイトで見た彼の名言が思い出される。

人としての底辺?いいじゃねぇか。
どんなにどん底にいても、どんなにボロボロになっても生きれば。生きること自体がお前の輝きだ。

そうだよなエガちゃん、生きてさえいれば十分だよな。

隣にある別の台拭きを見てみろよ。
こいつも頑張って生きてるよ。
ボロボロすぎてもう雑巾との区別もつかねえよ。

ってこっちはヴィヴィアン・ウエストウッドやないかい。




とりあえず私はそのエルメスとヴィヴィアン、もとい江頭ズを写真におさめて家族のLINEグループに送っておいたのだけど、持ち主だったらしい姉からは、その後至極冷静な返事が送られてきた。

「母ちゃんにとってはただの布切れ。実家に献上します」

なんだか達観していらっしゃる。

◆◇◆

別の日である。
姉の配偶者がこんなことを言っていた。母の誕生日で、兄弟とその配偶者たちが実家に集まった時だ。

「僕ね、ラコステのタオルをこの家に忘れていってしまったんです。それで、『次来た時に取りに来れば良いかな』くらいに思っていたんですけど、」

まさか。

「次来た時にはもう、雑巾になってたんですよね。」


一同爆笑。
せめて一度は台拭きを経由したのだと思いたい。

「だから、この家にあるタオルは、必然的に雑巾になるんだって思って。」

とにこやかに話す彼を横目に、「あんた、怒っていいんだよ」と私の頭の中でまる子が語り出す。

母ちゃん、あたしゃびっくりだよ。
こんなことばっかするから配偶者たちが『森逸崎家 被害者の会』って呼ばれちまうんじゃないのさ。まったく、やれやれだね。

◆◇◆

「ねえ、なんで使っちゃったの?」
純粋に気になって後日母に聞いてみた。

私もブランドに興味がない人種ではあるけれど、さすがに新品同様のハンドタオルの用途くらいはわきまえている。

すると彼女は悪びれなく答えた。
「だってなんか、ちょうどよくって。」

なんか、ちょうどいい。


そうなのか。
母にとっては目の前でテーブルや床が汚れている事実があって、
そこにあったタオル生地がちょうど目に入って、
それは自分がタオルとしては使わないもので、
だからちょうど良い感じに拭いてみただけなのか。


やっていることがほぼチンパンジーだっとしても、最早何も言うまい。


それにまた、くだんの江頭2:50を持ったまま母が言う。
「綺麗になればなんでも良いの。片付けるよ。」



何が良いとか何が大事かって、本当に人によって違うんだなあ。
とりあえず、この件で森逸崎家のメンバーの共通認識の一つに、「実家はタオルの墓場」ってことが加わった。

ハイブランド関係者の皆様、不快に思われた方いたら本当にごめんなさい。


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