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読めなくなった私が書く理由。
どうも、とにかく本が好きな喜木凛(ききりん)と申します。
もうこのnote界隈では、話題となっている編集者の藤原華さん主催「なぜ、私は書くのか」というnoteコンテスト。
私もムズムズしてきたので、書かせて頂きます。
タイトルに入れた『読めなくなった私』ですが、失明したというわけではごさいません。
実際に読めなくなったことを経験したのですが、それは私自身の病気が原因でした。
noteでは、告白という記事で、話させて頂いたのでもう書いちゃいますが、『統合失調症』という病名です。
今はどうか分かりませんが、10年以上前は、ネットで検索すると、もう、お先真っ暗な情報しかありませんでした。
でも、そんなことより何が、1番ショックだったかというと、活字が全然、頭に入って来なくなったことなのです。
幼いころから、本の虫だった私。
あんなに好きだった小説も読めなくなってしまったのです。
この時に、初めて悟りました。
ああ、読書って単なる受け身では無いんだ!
読むって能動的な活動なんだと。
何か、活字の限界を知ってしまった気がするんです。
いくら、素敵な文章でも、読み手の力が必要なのです。
音楽ならスっとこころに入ってきたり、映像では見る気がなくても引き寄せられたり、そんなパワーが活字には無いかもしれません。
ペンは剣よりも強し
私の大好きな言葉も、ただただ読み手にゆだねられる文章である以上、伝えられる方が限られてしまいます。
上手く言語化が出来ないのですが、活字の力に絶望したのですよね。
そんな私が何故まだ書いているのか。
読む力がない方には、伝わらないのに。
答えは簡単、
伝えたい方には伝わるから
なのです。
人間って自分が受けつけることが出来ない情報は、正しくても理解出来ないものなんですよ。
みんな自分で、能動的に読んでビビっと来た時が、素敵な読書体験に繋がると思うのです。
読めなくても、今は、その時でないだけで、大丈夫。
私も病気の前と後では、やっぱり読める量は、変わってしまったのですが、回復するにつれ、噛み締める文章も変わってきました。
必要とされている方に届けば。
そんな想いで綴っております。
読むって思ったよりもエネルギーを使う行動ですし、本当に受け身ではないんですよね。
能動的にここまで、読んでくださりありがとうございます。
同じ病気の方にはもちろん、共感も反感も含めて貴方のこころに届いていると嬉しいです。
私も今は元気に生きているから、お互いぼちぼちがんばろうやが伝わればと。
伝えたい言葉がある限り、私は書き続けます。
言葉は諸刃の剣でもあるので、強制的なツールよりも文章で書いた方が、いいタイミングで私の言葉が貴方に届くと思うのです。
喜木 拝
追伸、ある言葉が刺さったら、ぜひ理由を教えてください。
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