Vol.1.6 『嫌われる勇気』を読んで得たものと自分への戒め
こんにちは、青沼りんです。
今回の記事は私の失敗から自分への戒めについての記事です。
読んで頂ければ幸いです。
また、私の失敗についてはあいまいな表現にさせていただいていますが、ご了承ください😓
○いくら最強の魔法の杖を持っていても使い道を間違っては、なんの効果も発揮しないという話し
私の長所は、『がむしゃら』、『努力』、『一途』でした。
それは人間にとってとても良いスキルだと思っていました。
確かに持っていて損はないかもしれないけれど、私はそのスキルの使い方がことごとく下手でした。
使い方もろくに理解せず、違う、そこじゃない!っていう場面で大いに振り回し、いざという時に限って使わない。
そんな感じ。
せめて私の背後にいる(であろう)守護霊様が助言してくれてもいいのに、宝の持ち腐れにも程がある。
でもそうなってしまうのは、これまで自分自身とちゃんと向き合ってこなかったにほかならない。
私は身を粉にしてでも大切な人に尽くしたい、幸せになりたいと思っていました。
何事もエンジン全開で猪突猛進。
その人の為にやってきた事に対しての相手の態度に一喜一憂していました。
でも私がやってきた事はその人の為ではなく自分自身の為だったことに気づいた時にはもう取り返しがつかない状態でした。
『私がやってきた事は、もしかしたら相手を追い込んでいたのではないか。そうだったら、私がやってきた事は全部偽善。結局自分しか見てない冷たい人間なんだ』と思いました。
もっとこうすればよかった。あの時ああすればよかったともうどうする事もできない過去をひたすら悔やみました。
そして前に進めなくなった。
○それから得た自分への戒めと本
それから、そんな自分と向き合う時間があったのが功を奏したのか、なんとか持ち直した時に改めて自分の技量のなさを痛感しました。
私は世間知らずの甘ちゃんで世の中の事をなんにもわかってないから、もっともっと勉強をして自分に知恵をつけたい。新しい出会いをして知見を深めていきたい。そして得た知恵を使って困っている人の手を差し伸べる人間になりたい。
もっとも、これからはもうちょっと体の力を抜いて、最低でもポーション1個残しておく余裕を持つ事も忘れないように。
若い頃のようながむしゃらはもうできない年齢なのでw
【その優しさはその人の為になるとは限らない】
という言葉を自分への戒めに。
自己満にならないように。
今度は使い方を間違わないように。
そんな中で、この本と出会いました。
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』岸見一郎 古賀史健 著
この内容は私にとってなんとなく腑に落ちたり、説得力がある本でした。
その中での好きな言葉は
『大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである』
です。
今回の記事は以上です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
青沼りん
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