戦争と平和
8時を知らせるアラームで目を覚ます。窓から遮る太陽の光は眩しい。モスクワの空は絵に描いた様に美しかった。眠い目を擦りながらスマホの機内モードを解除。【露軍、宇へ軍事侵攻】。いつも通り眠りについて目を覚ましたら、戦争が始まっていた?意味が分からないし、分かりたくもない。空に目をやる。美しい。スマホに目を落とす。物騒な写真や動画が転がり落ちている。YouTubeでニュースを見る。どのメディアも「特別軍事作戦」について報じている。音量を下げてラインを開く。命の心配をされている。ああ、戦争をしている国にいるんだ。
この日を境に奇妙な日々が過ぎていった。透き通った青空。公園で遊ぶ子供。散歩している人。反戦を訴えては拘束される市民。街に溢れる「戦争反対」。銀行には長蛇の列。これらは全て同じときに同じ場所で起きたことだ。
3月4日。春の到来を祝う「マースレニッツァ」を満喫しているはずだった私は、スーツケースを2つ持ち、1人シェルメーチェボ国際空港に向かっていた。本来ならば町全体がお祝いムードでウキウキしているはずなのに、車窓から見える町は警察車両が行き交う不気味な空間だった。観光客で賑わっているはずの空港で列があったのは、カタール航空のカウンターのみ。「観光」という口実で国外避難する露国民と帰国を強いられた外国人が列を作っていた。
こうしてモスクワ生活に終止符が打たれた。侵攻開始からの9日間を理解できる日はこないだろう。あの時の私を理解できる人は現れないだろう。それで良い。空を見上げた時にこみ上げてきた涙、常に寄り添ってくれた友達に「ごめんなさい」と言われた時に流れた涙、目の前で反戦を訴える人が拘束された時に頬を伝った涙、モスクワ離陸前に滝のように溢れた涙。そう、私は、運命に翻弄されながらも必死に生きたんだ。願う、笑顔でただいまと第二のふるさとに告げる日がくることを。