凛の書き散らし

ロシアに恋したこじらせガール

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ウクライナ侵攻から1年 〜1年前、モスクワにいた日本人の独り言〜

あの日の朝は、晴れていた。雲ひとつなかった。澄み切った青空に雪をかぶった木々の白はよく映える。窓から差し込む朝陽はキラキラしていて、春の訪れを密かにお祝いしているかのようだった。 Доброе утро(おはよう)! 窓から見える優しいタッチで描かれた水彩画のような空(неба)は、добрая(優しい)という言葉がぴったりだった。 2時間前、隣の国で何が起きたのか、君は知っている。それでも、何ひとつ表情を変えなかった。涙を流さなければ、呼吸さえ荒くなかった。もう1度言う

    • ラトビア紀行⑧ 〜小国で生き抜く力〜

      ロシア語も英語も出来てすごいね。 ロシア語をやっているというと、なぜか、このように言われることが多い。人違いか、と思う。 自信を持って言うことではないが、英語もロシア語も日本語も中途半端だ。母語でさえ、理解していない。日本語に自信がなくなって、Googleさんに教えてもらうことも多々ある。 私は不器用だ。才能もない。だから、英語としっかり向き合っていた時はロシア語の力が急降下。ロシア語に浸かり始めてからは、英語がミルミル知らない言語になっていった。 ロシア語は、語彙力

      • ラトビア紀行⑦ 〜ポテチと少年〜

        空は灰色で今にも雨が降り出しそう。バッテリーの残りが20%を切ったというメッセージが出た。 早く帰らねば。電話を切り、地図を開き直す。店の場所を確認しよう。 「これ、あなたにあげるよ」。 ロシア語が前の方から聞こえた。 スマホから顔を上げる。10歳くらいの2人組の少年がいた。 周りに目をやる。「あなた」は、私しかいない。 彼らが近づいてきた。大きなポテチの袋を差し出している。 どういうこと? なぜ外国人の私にロシア語で話しかけてきたのか。なぜ私にくれるのか。お金

        • ラトビア紀行⑥ 〜留学生活の記録〜

          何を隠そう、ラトビアに旅行で来たわけではない。紀行とはいえ、留学生活についても書き留めておこう。 1) 授業内容【概要】 9:00―10:40、11:00―12:40の100分/コマが2コマある。 まず、前日や週末に何をしたか、あるいは、授業後や週末に何をする予定なのかを話す。次に、ニュースをもとに意見交換をする。先生は「議論」って言うけれど、あの授業の回し方的には、議論なんてとんでもない。時間が余れば、教科書を進める。 基本、クラスメイトはよく話したので、教科書をやる

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        ウクライナ侵攻から1年 〜1年前、モスクワにいた日本人の独り言〜

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          ラトビア紀行⑤ 〜ボルシチカーシャスィールニキ〜

          このご時世にボルシチをロシア料理とみなすのは違う気がする。 ボルシチ論争をこの場でする気はない。 ただ、ボルシチと一言で言っても、奥が深い。 シベリアに行った時、初めて、シベリア式ボルシチを見た。 ボルシチはロシアやウクライナだけではなく、バルト3国やポーランドなどでも食べられている。 ベラルーシやポーランド、ラトビアやリトアニアなどでは、夏に冷たいボルシチ(холодник, холодный борщ)が好まれている。 とある記事にも書かれているように、地域ご

          ラトビア紀行⑤ 〜ボルシチカーシャスィールニキ〜

          ラトビア紀行④ 〜ロシア人と暮らしたい〜

          あんな政治体制のもとで、どんな人が暮らしているのか。 ベールで包まれた大国の日常を見るべく、2年前、モスクワに向かった。 当時は、ロシアの何かが特別に好きという訳でもなかった。 ピンポイントで何かが好き、というものがないという点では、今も変わらないだろう。 政治と社会を切り離した上で、ロシア社会そのものに心を奪われている。 見返りなんてないのに、どうしてそこまで親切にしてくれるのだろう。 経済も政治も天気も明らかにしんどいのに、どうしてそんなに楽しく元気にいられる

          ラトビア紀行④ 〜ロシア人と暮らしたい〜

          ラトビア紀行③ ラトビアとウクライナ侵攻

          日本では、反戦メッセージやウクライナの国旗を街中で見るたびに、写真を撮っていた。 侵攻当初は、日本でも関心が高かったように思える侵攻も、今では、まだ続いているものとなりつつあって、関心が下がっているように感じている。 それもあってか、日本の街中で、この情勢に関して何か表現されていると、ビビビってくる。 少しだけ自分のことを。ウクライナ侵攻が始まった時、モスクワにいた。 言葉と文化を学ぶため、留学をしていた。 ただそれだけなのに、突如、留学生活は終わりを告げた。 こ

          ラトビア紀行③ ラトビアとウクライナ侵攻

          ラトビア紀行② 〜アジア人の女の子〜

          最初の3日が過ぎた。 それは、留学生活の10分の3が終わったこということでもある。 そう思うと、2週間ってあっという間だ。 授業は、月曜日から金曜日まで、全て100分×2コマだ。 これは、モスクワの時と大きく違う。 ロシア語の授業は、週に3回で、90分×3コマだった。 残り2日は、簡単なロシア語の講義で、90分×2コマ。 一見、ロシア語の授業とロシア語による講義が折り混ざっている方が、飽きが来なくて良いように思える。 しかし、今や、インターネットの時代。 ロ

          ラトビア紀行② 〜アジア人の女の子〜

          ラトビア紀行① 〜9.11とわたし〜

          希望に胸を膨らませ、北の大地へ飛び出した。 パンデミックの影響で、飛行機はガラガラ。 乗客は片手に数えるほどしかいない。足は伸ばし放題で、とても快適だ。 それもあって。10時間の空の旅はあっという間に終わっていた。 初めて足を踏み入れた大地の空気は涼しい。 いわし雲が浮かぶ空に、広い大地での新たな生活を描いてみる。 世間は、9.11から20年のニュースで持ち切りだというのに、そんなことなど頭になかった。 そんなことなど…。 ちょっと言葉が悪いかもしれない。

          ラトビア紀行① 〜9.11とわたし〜

          ロックが導くマイトレイン

          激しいドラムやギターにパワフルな歌声と1つの熱狂の嵐を作っていたのは、確かだ。 その時の1つ1つの音は何ひとつ覚えていない。 記憶にあるのは、(約)50000分の1の豆粒として叫び飛んでいたこと。 言いたいことを言えば、あーだこーだと叩かれる。 そんな世の中を支配しているのは、愛でも誠意でもない。 ケンリョクに溺れたオジサマたちが作ったオキマリやオヤクソクに、異論を唱えないことがフツウとみなされる。 敷かれたレールを少しでも外れた者には、冷ややかな視線が向けられる

          ロックが導くマイトレイン

          8歳のガキが見たベトナム ①ベトナムとの出会い

          遡ること15年前、横浜市の高台にある小学校の1室に、耳をダンボにしてM先生の話に耳を傾ける7歳のSちゃんがいた。 スクリーンには、ベトナムの首都ハノイの街が映し出されている。 高層ビル群と雑多な空間が入り混じっている光景に、Sちゃんは目を丸くした。ベトナム=スーパー発展途上国というイメージを持っていたからだ。 「高い建物もあるんだ!」 M先生は、現地の食事や街の様子について話を始めた。 お米から出来た麺と優しい鶏ガラのスープからなる主食のフォーやライスペーパーで新鮮

          8歳のガキが見たベトナム ①ベトナムとの出会い

          可哀想とか幸せとかってなんなの? No.0

          家が崩れ、友達を失い、故郷を離れた可哀想なウクライナ避難民を助けてあげよう。 ロシア語ができるなんていいね、可哀想なウクライナ避難民を助けてあげられるんだもん。 これは、ロシア語を学習している筆者が言われてきた言葉であり、SNS上でもよく目にする言葉でもある。 ウクライナ全土がむしばまれ始めてから1年以上が経つが、終わりは全く見えない。 それどころか、各国の要人が競い合うかの如く、ウクライナを訪問している。 国会では日々、日本ならではの支援についての議論がされている

          可哀想とか幸せとかってなんなの? No.0

          ウクライナのパパとネコちゃんに会いたいの

          くすみピンクのカーディガンにブレザー制服のスカート。真っ白な上履きはひときわ目立つ。 窓から風が吹き込むと、大胆に束ねられたブロンドの髪がなびく。 ヴァーニャのお姉ちゃんか。少しドキドキする。 10月にウクライナからやって来た8歳の男の子の通訳を、大阪の小学校でしている。 今日は、14歳の姉の通訳を頼まれた。 「今、性教育の授業をしているから体育館に行ってくれん?」 国語でも英語でも数学でもなく、性教育? 授業とはいえ、初めましての子とこの話をするのはちょっと気

          ウクライナのパパとネコちゃんに会いたいの

          先生聞いて。守れたはずの挑戦権

          中学3年生の3月、アメリカ行きのチケットが手から滑り落ちた。春休みに1ヶ月間、現地の高校で学べるプログラムの選考に落ちた。 唯一の試験である英語の出来は完璧だ。どうして?先生に理由を尋ねた。 ちょうど2年前だった。 12歳の私を待っていたのは中学受験の失敗。中高附属ではない私立の小学校に通っていたため、当たり前のように受験をした。 意志なんて、なかった。 半ば強制的に挑んだ試練で敗者になる。悔しさとやりきれなさで自分を失った。 世の中は冷酷だ。新たな門出を桜が祝っ

          先生聞いて。守れたはずの挑戦権

          3.11 〜あれから12年〜

          インフルエンザから復帰した最初の登校日は、激動の1日となった。 4年生の教室に入ると、しょーもないことで男の子数名と口喧嘩をしている友達が何人かいた。 詳しい経緯は記憶にない。気付いたら私も参戦していたのは確かだ。 女陣営は5〜6人だったと思う。それに対して男陣営はわずか3人。10歳の男女に体力差はほぼなかった。 むしろ私たちの学年は、女の子の方が蹴りが上手かったり口が悪かったりと、なにかと強かった。 喧嘩もすぐに終わるだろう。誰しもがそう思ったに違いない。 しか

          3.11 〜あれから12年〜

          3月9日、サクラサケ

          2019年3月9日、午前9時。大学入試の合格発表の瞬間だ。 心臓のバクバクが止まらない。朝ご飯はしっかりと食べたけど、それ以降はずっとリビングでゴロゴロ。何も手につかなかった。 それでも8時55分になると、必死に体を起こし、机の上のPCに向かう。受験者本人の合否だけがわかる個別サイトを開き、必要な情報を全て入力する。次へ、を押す。 「サーバーが接続していません」。サイトが落ちたようだ。何回やってもダメ。家のPCだけではなく、家族3人のスマホからやってもダメ。2時間が経っ

          3月9日、サクラサケ