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卒業しました 〜 Gender, Sexualities, and Women’s Studiesを修了して 〜

卒業します、の前回の投稿から早さ、、んかげつ。無事にカレッジを卒業しました。卒業できました。

解放感とともに、1月は丸々日本に一時帰国しておりました。
帰国中に学校からcompletion letter(卒業レター)を受け取り、卒業式関連のメールが届きはじめ、移民コンサルタントと卒業後のワークビザの申請についてやり取りをし、というような感じで事を進めておりました。

PGWPの申請は自力でやる方も多いかと思います。なにせ移民コンサルタントへの依頼は結構な費用がかかりますから。

ただ、わたしは今回のカレッジ卒業にあたり、いくつか単位をトランスファー(互換)しています。この点が周りの多くの学生とは異なり、ほぼほぼ経験談というものも得られずでした。その点の懸念もあり、専門家に依頼することにしました。(せっかくの一時帰国中に書類作成なんてやってらんないってのも本音。)

まあ、果てしなく感じていた2年のカレッジ生活がようやく終わりを迎えたわけですが、今日はジェンダー学がどういうものだったのかをざっくりと話したいと思います。(興味あるひとがいればいいけど)

専攻名は、Gender, Sexualities, and Women's Studies。

ジェンダーを巡る議論や言説、クィア理論(セクシュアリティやジェンダーアイデンティティなど)、フェミニズム理論などを用いて、ジェンダーとはなんぞやを分析したり、批判的にみたりします。

※クィアというのはLGBTQ+の総称です。LGBTQ+の表記方法は、カナダでは2SLGBTQIA+とされるのが一般的です。

わたしたちがいる社会や文化(西洋)のなかで、ジェンダーというものがどのように捉えられているのか。過去と現在でその認識はどう変わってきたのか。ジェンダーを巡る認識はどのようにつくられるのか。宗教や政治はどう影響してきたか。そこに存在するバイアスは。力関係は。社会に蔓延する構造的な差別や偏見は。人種、社会的地位、ジェンダーなど複数のアイデンティティの接点は差別構造にどう作用するのか。

もっというと、ジェンダーは何種類?生物学的性別と社会的性別とは。そもそも性とは固定的なものなのか?男らしさとは、女らしさとは。misogyny(女性蔑視)、patriarchy(家父長制)、sexism(性差別)とはなにか。こういった認識はどのようにうまれ、社会構造にどう反映されているか。白人女性と有色人種女性が経験する抑圧はどう違うか。

なんてことを、メディア、文学、哲学、歴史、社会学、心理学などあらゆる側面からあーだこーだと議論するわけです。

特にこういった文化や社会に関する授業をうける際、カナダの学校環境の利点はやはり多様な意見に触れられるところだとおもいます。

カナダは移民大国です。多人種多民族国家であり、それぞれが様々なルーツをもっています。おのずとディスカッションの際に、「わたしの文化では~」「わたしの宗教では~」といった違う視点からの意見や経験談が聞けるというのは日本と大きく異なる点かと。


ジェンダー選択科目で履修した授業はこんなかんじ。

  • Introduction to Feminism (フェミニズム序論)

  • contemporary issues in GSWS(現代のジェンダー問題)

  • History of Sexuality(セクシュアリティの歴史)

  • Women in Society(女性と社会)

  • Masculinities & Society(男性性と社会)

  • Introduction to Sexualities(セクシュアリティ序論)

  • Gender Today(ジェンダーとテクノロジー)

  • Philosophy & Feminism Thought(哲学とフェミニズム概念)

  • Reproductive Justice(生殖正義)

  • Gender Relations(ジェンダー心理学)

  • Reading Literature & Culture(文学)

  • Reading Fiction(文学)

どれも非常に興味深い内容だったんですが、個人的にはリプロダクティブジャスティス、マスキュリニティ、イントロセクシュアリティあたりがかなり印象にのこっています。

リプロダクティブジャスティスでは子供をもつ権利、もたない権利、安全な環境で育てる権利について。この言葉は、生殖権を著しく侵害されてきた黒人女性フェミニストがreproductive rights(生殖権利)とsocial justice(社会正義)を掛け合わせて造語しました。生殖に関する権利は個人に属するはずでありながら、個人の身体と生殖機能は昔も今も、いろいろな側面で支配され、制限され、管理される対象とされてきたことを、とことん掘り下げていくような授業でした。この授業についてはまた詳しく書きたい。

カナダでも、文化的迫害(cultural genocide)、障がい者や先住民族女性に対する強制不妊治療などがおこなわれてきた歴史があるし、2022年にアメリカでは50年以上にわたって守られてきた女性の中絶権保護の判決がいまこの時代に、覆されてしまいました。

そういう意味でも、「むかしごと」「ひとごと」ではない。

悲惨な過去を教訓とし、生殖正義とはなにか、その権利が守られるというのはどういうことなのかを考え続けていくことは今の時代もこれからも不可欠なのだと感じさせる授業でした。

マスキュリニティのクラスは、社会の中での男性性の定義や位置づけ、男性性の中でのハイエラルキーやメディア・学校・ナショナリズム・ミリタリズム(軍事主義)と男性性の関係などを学びました。興味深い。

イントロセクシュアリティはどどんと「性」全般について。性的同意はもちろんのこと、性暴力、セクシュアリティなど。

こういった授業を一切というほど受けてこなかった世代としては、自分が中学生や高校生のときに学べる機会があればよかったのにと思ったし、いまの子たちにはこういった教育の機会がぜひとも提供されてほしいとおもう。

とまあ、こんな感じでジェンダー専攻の必修科目を履修。
あとは一般教養もいくつか必修があって、嫌々ながら理系系授業をなんとかクリア。

統計の授業がもう絶望だった。
なに、エクセル?意味不明。
とんでもない形相だったのか、ティーチャーアシスタントの人と目があった瞬間、大丈夫。君は疲れてるだけだよ、って励まされたり。

あと、なぞに地理学で天気と気候の仕組みとかエネルギー量の計算とか物理Ⅰくらいの内容をやって、計算式の英語とか知らん。ちんぷんかんぷん。
10の4乗ってなんていうのよ。しらんのよ。

久々の学生生活はとんでもなく大変だった。
ほんとうに卒業できているのか、卒業式で証書をもらって、名前を呼ばれるまで半信半疑だったけど、やっと実感が湧きました。めでたい。

ぼちぼち、カレッジ生活のことはまた遡っていきます。とりあえず、今日はここまで。
またこんど。

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