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こどもをまんなかにしてゆっくり親になる

親ってどうやってなるんでしょうね。

子どもを産めば、その瞬間からお母さん・お父さんと呼ばれます。(場合によっては、もっと前の妊娠中から突如そう呼ばれるかもしれませんね…)

だけど、自分の中身はそう呼ばれる前の自分とほとんど何も変わっていない。何も知らないままなのに。

昨日までおなかの中にいたあかちゃんが、自分の手の中にいる。なにもかもが小さな我が子を抱き、そのぬくもりに今まで感じたことのない愛おしさを感じると同時に、壊れそうな柔らかさと相反する重みに不安と孤独でいっぱいだったこと、昨日のように思い出します。

何もわからなかったし不安だらけだったけれど、私には時間だけがありました。

あかちゃんは最初は、泣くか、寝るか、でした。合間に授乳しておむつを替えました。あかちゃんが寝ている間は、じーっと見て過ごしました。いくら見ても飽きませんでした。疲れたら一緒に寝ました。私と赤ちゃんは小さな部屋の中でひっそりと暮らしました。あかちゃんの命の重みに押しつぶされそうになるときは、あかちゃんを抱いて丸くなって何も考えずにひたすら寝ました。私自身の産後の肥立ちもあまり良くなかったので、ほとんど病人のように家の中で過ごしているうちに(結構しんどかった)、すぐに数か月経ちました。自分の身体の回復をゆっくり待つうちに、あかちゃんは声を出したり、笑ったり、寝返りを打ったり、ずりずり動くようになりました。

自分が動けるようになったある天気の良い日に、私はあかちゃんと一緒に外に出てみました。最初に行ったのは図書館でした。そこでは、絵本の読み聞かせをしていました。ボランティアの人があかちゃんと私に話しかけてくれました。話しているうちに、その人たちは図書館で絵本の勉強会のサークル活動をしているということを教えてくれました。子連れでも参加できると言われ、私はその会に入れてもらいました。これが私と子にとってはじめの「一緒に行ける場所」「話ができる人たち」でした。

それをきっかけに、どんどん子どもと一緒にでかける範囲が広がりました。公園に遊びに行ったり、児童館の幼児教室に参加したり、育児サークルをつくったり、趣味のイベントに一緒に参加したり…。活動範囲が広がるごとに、年齢を問わずお母さんの友達が増えました。

ちょっと先行く先輩お母さんたちは、あかちゃんが泣いても笑っても可愛いと言ってくれ、彼女たちの話はどんな話もとても参考になって、気持ちがおおらかになりました。私と同じ新米お母さんの仲間とは、不安を共有して一緒に泣いたりしました。一人じゃないんだと思えて勇気づけられました。

子どもと一緒に行く場所で出会う人たちに囲まれ、こどもはいつもまんなかにいました。みんなで見守って育てました。私と子が出会った人たちは、おとなが子どもの都合に合わせました。なんだかんだと、そうやるのがうまくいく方法だと私はみんなから教えてもらいました。それは子どもの言いなりになるのとは違いました。まだ自分で身の周りのことができない・発言もできないような年齢の子のことを大人(自分)と同じように尊重するために、子どもを優先して物事を考えるという事です。

子が私の手を離れ、幼稚園で集団生活を始める前までの3年の間に知り合ったいろいろなお母さんたちは、私にとってとても大切な存在でした。毎日毎日子と私は一緒でした。子と一緒にいられると私も安心でした。でも二人きりでずっと一緒にいると、苦しくなる時がありました。そこに他の誰かがいると、苦しさは消えました。一緒にいてくれる人と場所が少しずつ増えて、いつの間にか押しつぶされそうな不安な気持ちになることが減っていることに気が付きました。

こうやって、私はたくさんの友人たちと子育てをしました。一人だったら、あんなにも楽しく子育てできなかったと思います。私は子育ての早い段階で、たまたたまそんな風に仲間ができ、人の手を借り・助けられ、文字通り助かったのでしょう。そうでなかったら親子でどうなっていたかわかりません。

子が幼稚園に入園した後も、子に合わせて暮らしていく中で子がたくさんの友人を私に引き合わせてくれました。たくさんの友人たちの手を借りて、私はゆっくりこどもとの暮らしに慣れていき、みんなとこどもといろんな話をして、たくさん考えて、ゆっくり長い時間をかけて親になっていたのだと思います。

最近は時代の変化のスピードも速く、産後も仕事をし続けるのは当然という風潮の中、それだけじゃなくキャリアアップも望まれたり、親になるだけじゃなくて、その他やることがたくさんあります。その忙しさは、子どもが保育園や幼稚園に入園しても、保育士・親同士とゆっくり話をする時間をつくることも難しいほどです。

私もそうでしたが、今は子どもを育てるという体験を自分が子を持ち初めて体験するという人が多いのではないでしょうか。そうなると、見るもの聞くものすべてが初めて尽くしです。初めてからうまくできる人はそうそういません。初めてのことって、何度も失敗を重ねて、いつのまにかできるようになるものです。それが許されないことはとてもしんどいことです。今の子育てにはそんな空気が漂っている気がします。

もっとゆっくりでいいんじゃないのかな。はじめからうまくいかなくても、それは全然おかしくなくない。

同じようにお母さん・お父さんと呼ばれる人でも、その中身はひとりずつ違います。体験していることも、考えていることも違います。子を持つ人同士や、子が関わる場所にいる人たちとの何気ない会話の中から気が付くことがあったり、教えられることがあったり…今振り返ってみると、そういうことが親になることにとても大切なものだったように感じます。今子育て中の人たちは、そんな相手も場所も作れそうもない程、忙しそうなことが気にかかります。

こどもと一緒にいて感じたことは、こどものことって焦ったら見えなくなるようなことばかりです。我が子のことは、他の誰とも同じじゃないし、自分も他の誰とも同じじゃない。だから親子の関係は自分の子と自分のことをせっせと見つめながら自分で考えるしかありません。どうやったって時間のかかることなんだと思います。矛盾するようだけれど、誰とも同じじゃないから、いろいろな人と話して、その人の体験を教えてもらうことはとても大切なことだと私は思います。そうやって、自分の子はどんな人なのかたくさんかんがえながら、自分もどんな人なのか一緒に考えていくしか方法がありません。

子どもは時間を気にしてくれません。親の都合も関係ないし、親の思い通りになんかなりません。気になることがあるといくらでもやり続けます。焦っても仕方ない。無理やりもだめ。くりかえしくりかえし気が済む形で何度もやってみて、そうして自分の力でひとつずつ確実にできることを増やしていきます。そんな風にして、いろんなことをできるようになっていく子どものそばで、同じように何度もくりかえして親をやってみて、時に間違えたり、時にこれかな?と思ってみたりして、少しずつ親になっていくのだと、私は子どもから教えてもらいました。そしてそれに気づける心の余裕や勇気を仲間からもらったのだと思っています。

当時の私に、いろいろ教えてくれたみんな。そういう人たちとの出会いがなかったら、私と子はどうなっていただろう。今子育てしている人たちはそういう場所があるのだろうか。自分で積極的にそういう場所をつくっている人はいいけれど、ない人のためにせめてオンラインでもそういう場所が作れたらいいんじゃないか…今これから幼い子と一緒に生活していこうとしている人たちと、こどものことを一緒に安心して話ができる場所があったら良いんじゃないのかな。そこでそれぞれの形を見つけていくことは、親になることに繋がっていくんじゃないのかな。そんなことを考えるようになって、コミュニティをつくりました。


安心して話せることを大切にしたいので、オープンではない場所にしてあります。でもそんなに堅苦しくはありません。最初に自己紹介だけしてもらっています。最低限のルールだけ守っていただければあとは自由な会です。

興味がある方、気軽にのぞいてみてください。


★定期購読マガジンも発行しています。子育て中の方が読んで、お子さんとの関係がより良くなる何かに繋がったらいいなと思って書いています。


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