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短編小説:ナイトウォーカー



東京に来てから、僕は夜の散歩をするようになった。
もはや街に溶け込みすぎて、パトロール中の警察にも気にされない。

そのうち鍵の空いている家がわかるようになった。
初めは出来心というか遊び半分だった。
信じてくれないだろうけど、本当に。
ゲーム感覚で鍵が開いてそうな家のドアノブを回しているうちに、財布からくすねるうちに、お金がない家や入ってはいけない家もわかるようになった。それでもたまに勘が鈍って、ヤバいドアを開けてしまう。
あれは築50年は経ってそうな、小さな平屋の一軒家だった。
眠らない街と呼ばれる渋谷だろうが新宿だろうが、全部が繁華街というわけではない。ちょっと外れたところには昔ながらの住宅地があって、ボロい家が並んでいたりする。
日付が変わった深夜。住民しか通らないような細い道を音を立てないように神経を集中させて歩く。黒っぽい服装で、防犯カメラがある場所から幾度も角を曲がって、帰りは違う町に出るようにしている。

誰ともすれ違わぬまま静かな一帯にさしかかった。
恐らく高齢者の住む家が多いんだろう。
空いている鍵の気配をいくつも感じた。だがここで焦ってはいけない。犬猫を飼っていたり、働きざかりの男が起きてるとめんどくさい。
子どもの居る家は電気を消すのが早いが、親だけひっそりとスマホを見て起きている場合が多い。僕は人の気配が少なく、入りやすい位置に玄関がある家に狙いを定めた。ドアノブを回すと、案の定スッと開いた。
息をゆっくり吐いてから、中に侵入する。家の中ではうっすらと線香の香りがした。すぐ横の台所には卵が6つ入ったパックと重ねられたタッパー。ダイニングテーブルの上には、病院で処方された薬と謎の健康茶。
奥にある古めかしいドレッサーには男性の遺影と位牌が置かれ、仏壇状態になっていた。部屋の中の物から想像するに、年金をもらっている一人暮らしのお婆さんだ。

椅子の背もたれに掛かっている花柄のショルダーバッグに手をかけた。
すると窓からさし込んだ街灯の光で、テーブルの上に朝食用らしいおにぎりが2個置いてあるのに気づいた。
明日の朝は起きて健康茶を飲みながら、このおにぎりを食べるのか……
僕はお婆さんが生きている人間なのだとわかり、動きを止めてしまった。
「いや、生きているから何なんだよ。当たり前だろ。今までとどこが変わるんだ?」
と自分の心の中で呟く。
僕はバッグから財布を取り出し、中からお札を1枚を抜き取って立ち去った。いつも1枚だけと決めている。それなら気付かれにくいから。
あとで僕が盗ったのを確かめると、1万円札だった。財布にいくら入ってるのか確認すらしていないが、あの中には多分20枚くらいあった。
もし、20万円だとしたら、5%か。消費税よりは安い。

帰りの道は、鈴虫が鳴いていた。「秋の夜長」って風情ある言葉だけど、同じ気温でも春より寂しい感じがする。真っ昼間はたいてい同じなのに、夜は色も感触もたくさんあるって知ってる?ぱっと薄い水色、にぶい青、光を吸い取った濃紺、燃えかすそのものな灰色、艶やかな黒、そして数限りない果ては透明。やわらかな宵の始まり、突き刺すように凛とした夜半、暖かな息を吹きかけられるような真夜中。
しかしこんな話を人にしても、誰にもわかってもらえない。そんなことない毎晩ごとに違うじゃないかと反論しても、みんなは「ただの暗闇だ」と。
だが、感じとれないなら仕方がない。きっと俺の先祖も代々、夜目の聞くナイトウォーカーだったんだろう。
それから何度も僕はお婆さんの家に入った。気分的には「寄った」という表現が正しい。あの町内は歩きやすいし、あの家も入りやすくてコスパがいい。お婆さんの財布にはいつも数十枚のお札が入っているところから推測しに現金派でたくさん持っていないと不安な性格なのだろう。

そして年齢からしてちょっとボケてて、1枚足りなくても「銀行から下ろし忘れたかしら?」とか「また数え間違えた?」と自分を納得させてるんだと思う。やがて、夜の散歩にはツラい寒さになってきた。ついつい、あのお婆さんの家に足が向き、週1くらいのハイペースで寄るようになった。
そんなある日、いつもの作業に入るとテーブルの上のおにぎりが3つになっていた。誰かが訪れるのかと青ざめる。だが、玄関にある靴の数は変わらなかったし、室内に異変もない。きっとご飯を炊きすぎて、たまたま多く作っただけだろう。ところが次に侵入した時、テーブルにはさらに恐ろしいものが置いてあった。チラシの裏をメモ代わりに何か書いてあった。
つまみあげ、スマホのライトにかざして確認した。

「おひとつどうぞ」

今度こそ、全身から血の気が引いていった。何かのトラップかと周りの気配を探るが、いつもと変わらずお婆さんは寝入っているようだ。
気味が悪い。なんで泥棒に入っているのか分かっているのに鍵を開けたままで、おにぎりを用意しているんだよ。混乱のあまり、僕は財布には手を伸ばさず、おにぎりだけ手にして家を出た。
考え込みながら歩いていると、後ろから人に追い越された。
「うわ……!」
思わず出そうになった声を引っ込める。人がいたのに気付かなかったなんて…。
追い越した奴は僕を気にする様子もなく、大股で歩いて行った。
犯行を目撃されてないとわかり、肩の荷が下りた。あれはスーツ姿からするに、仕事帰りで遅くなった30代くらいの男性だ。いちばん安全なナイトウォーカー。おかしな奴も結構いるからな。

昔付き合っていた彼女は狂ってて、包丁を持って深夜に徘徊してたことがある。彼女の部屋に泊まった時、夜中に物音がして起きたらちょうど帰ってきたところで、「誰かに遭ったら殺すつもりだった」と、包丁隠しのぬいぐるみを抱いて泣きじゃくっていた。
もし通行人に出くわしていたら本当に殺したんだろうか。僕も警察に呼ばれたんだろうか。今となってはどうでもいいことだが、ああいう奴もいるって事は頭の片隅にとどめている。
しかし、今夜はイヤなのが重なったもんだ。いっそ捕まれば、こんなこと終わらせられるのに。
慎重に遠回りをして家に戻った。灯りの下でおにぎりをチェックする。白米を包んだ、なだらかな三角形。薄ピンクのものが透けているから、中の具は焼いたサケだろう。見た目でおかしなところはないものの、毒が入っているんじゃないかと疑ってしまい、口にすることはできなかった。

翌朝、おにぎりを近所の犬に投げやっていたら、匂いを嗅ぐ間もなくバクバクと食べた。次の日通りかかったが、犬は元気だった。
「普通のおにぎりだったのか。」
だとしたら、一体、何を考えていたんだろう。
数日後、僕はある答えを導き出していた。
あのメモは、朝にやってくる人に宛てたものだったのかもと。どんな仕組みかは知らないけど、家事や介護をしてくれるヘルパーさんが来ているのかもしれない。
そして世間がクリスマスで盛り上がる中、いつものようにあの家に寄ると、明らかにおかしかった。寝室と思われる部屋から唸り声が聞こえた。
僕はとっさにドアを開けた。部屋は真っ暗でおおまかにしか見えないが、布団の上でお婆さんがお腹を抑えていた。僕はポケットからスマホを取り出したが、どこに電話をかけるのかド忘れしていた。

ネットで検索しているうちに冷静さが戻ってきた。
もしも、僕の存在がバレたら、前科も含めて大変なことになる。
見て見ぬふりをしたいが、それもできない。僕が寝室の雨戸を開けると、隣の家のお風呂場の電気がついていた。祈るような気持ちで、お婆さんの枕元にある目覚まし時計を投げ、隣の家のガラスを割った。
「なんだ!?」
風呂場でシルエットが大きく動き、うろたえる声が聞こえた。
僕はすぐさま、お婆さんの家から走り去った。
逃げ切れる自信はあったが、捕まっても仕方ないと観念していた。
ビクビクしながら過ごしていたが、毎日は平穏に過ぎていった。カレンダーの日付は、大晦日になっていた。

僕は気がつくと、フラフラと散歩している。大晦日は、夜通し起きている人が一番多い日だ。さすがに物盗りできるとは考えていない。
なのに、なぜかお婆さんの家の前にいた。この一帯は今夜も、夜更かしする人は少なくシンとしている。いつもみたいに勘が働かなくて、鍵の様子は読めなかった。ドアノブを回すと、カチリとドアが開いて、お婆さんは生きているんだとホッとした。室内に入ると、煮物の匂いと、いつもより暖かな空気に包まれた。そのまま帰るつもりでいたが、テーブルの上のおせちのお重横におにぎりがあった。お皿に一つだけ。また来ると思ってたのかよ。
帰り道に歩きながら、おにぎりを口に運ぼうとした。だが不意に涙があふれ出し、食べるところではなかった。

「本当、何なんだよ…。」

僕の口からこぼれた言葉は夜空に消えた。
この街の全てに、この世の全てに降っていく。

年が明けて、僕はただの深夜散歩者(ナイトウォーカー)に戻った。


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