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本来の自分を生きようとするときの壁やヒントあれこれ

今日はさやかさん(Instagram@sayaka_anduniverse)が福岡からはるばる長崎までお越しくださって♡

福岡や長崎で学んでおられる皆さんといっしょに、さやかさんのお話会に参加させていただきました。

ここには、その中で、特に心に留まった3つのことについて、わたし自身の備忘録の意味もこめて、書いていきたいと思います。

ちなみに、これらのお話が聞けたのは、さやかさんが来てくださったことはもちろんだけど、ともに参加なさった皆さんの存在もあってこそ。

学び合うって素晴らしい!

よき学びの機会をありがとうございました。

インナーやガイドの声が聞こえなくなった時は、「本当は自分はどうしたい?」を問われているとき、というお話

インナーセルフの声が聞こえなくこと。あるあるー。

なんなら、わりと頻繁に。あるあるー。

「お昼ご飯何食べようっか?」って、ついさっき聞いたときは、当たり前のようにすんなり聞けたのに、

「ねーねー、誘ってもらっているあの企画、参加したい?、てか、私が参加すべきやつ??」って尋ねてみたら、しーん…、みたいなこと。

これまで私は、こういうことがあると、

なんで聞けないんだろ?、私、意識が落ちてる?、てか意識って、どうやって上げてたんだっけ?、なんでできないの??、なんで…???と、自分をとことん落としてしまう

反対に、「食べるものとか、買うものは答えてくれるのに、なんで、すべきことは教えてくれないのよ!!」って、インナーセルフに対して、喧嘩腰な気持ちになる

あるいは、私なんてどうせこんなものよ、やっぱり私には無理なんよ、私にはできない類のことなんよ、と投げ出して、ふて寝したり、発散系に走ったりする

だいたいこの3つのうちのどれかってパターンだった。

だけど、さやかさんは「”そういうときは、本当は自分はどうしたい?”を問われているんだと解釈していました」とお話されていて。

なーるほどねー!と、目から鱗な感じだった。

そうだよね、なんでも簡単に答えがわかってしまえば、そりゃあ楽だろうけど、そればっかりじゃ、成長なんてできないもんね。

だから、ここぞってときは、そうやって、敢えて突き離して、とことん向き合わせてくれたりもするんだよね。

目に見えない存在たちの愛って、本当に深いんだな

「すべては学びである」、「すべては愛である」って、理解しているつもりだったけど、私はまだまだ理解が浅かったんだな

と思うとともに

さやかさんは、このような、一見すると、困難だったり都合が悪いと感じられるようなことにも、投げやりにならずに誠実に向き合ってこられたからこそ、インナーやガイドとの絆が育って、現在のお姿があるのだな

やはり、ひとつひとつを学びに変えていくこと、それを地道に積み重ねていくことが大切だし、必要なことなんだな

と感じました。

浮き沈みはあっていいけど(人間だれしもあるのが当たり前だけど)、一定範囲内におさめたがいいよね、というお話

インナーセルフの声が聞けない日が続いたり、頑張ってリーディングしたことが違うよと告げられたりしたときは、どーんと気持ちが落ちてしまうこともある。

気持ちが落ちて、ときには、そんな自分に浸ってしまうこともある。

だって、浸っている時間って、心地よかったりもするから。

そうなってしまうと、ゼロポイントまで戻すのに、ものすごく時間がかかる。

「だからね、下がってもいいけど、ある一定の範囲内での下がり具合で軸を戻せたら、戻りも早いよね。」というお話を、わかりやすいジェスチャーを交えて説明してくださって。

確かにそうだ、しんどいから、きついからって、逃げて浸ってる場合じゃないな、そこも自分で意識して、軸を早めに戻そうとすることをやっていこうと得心。

「逆に上がりすぎも…」ってお話があったんだけど、これも私はうんうんってなった。

私は、本来を生きるスクールに出会う前は、その答えを求めて、スピ系のYoutubeを見てみたり、ブログを読んでみたり、それ系のお話会に参加してみたり、たくさんたくさん本を読んでみたりして、自分なりに試行錯誤していたんだけど

そんななかで、テンションでやり続けていく方法や、ひたすらアフォメーションで現実化を試みていくようなやり方をやっていた時期があって。

そういうのでも、現実的な望みはある程度は叶っていったけど、なんか自分の内側はカスカスのままだなって感覚があった。満たされることはなかったし、豊かさっていうのは、感じたことはなかったかもしれない。

で、そういう、「上げて上げて」ばっかりやってたからか、本来を…を学び始めてから、着地するまでにすごく時間がかかった。今振り返れば、着地する場所すら見失っていたのかもしれない。

だからね、ときに、すごく嬉しいと感じることや、幸せだなと感じる機会に恵まれることもあるけれど、そっちもそっちで、浸ることなく、「今、自分はどこに在る?」を意識していこうと思いました。

覚悟が決まったときに、嫌だ・やりたくないから、豊かさや愉しさになった、というお話

「本来の自分がやりたいこと、本来の選択って、案外やりたくないって感じることが多いんですよ」とは聞いていたけれど、実際に自分がこの世界に足を踏み入れてみたら、本当にそうだった。

今はだいぶ違ってきたけれど、だから私は、最初の1年間は、なんやかんやと理由をつけて、本来なら乗りたいはずのお誘いをお断りしたりと、静かに抵抗をし続けた。

他方、さやかさんは、きっとこの学びはトントンと進んで来られたんだろうなってイメージで、淡々とご自分が為すべきことを受け入れて、行動してこられたような印象だったんだけれど、

意外や意外、同じように、ものすごく嫌だって感じて、抵抗をなさっていたこともあったそうで。

でも、今はそこを超えて、「しんどいからどこかでこの学びはやめよう」とかはなくって、豊かだな、愉しいなって感じておられるご様子だったので、感じ方が変化した時期のことについてお尋ねしてみた。

そうしたら、しばらく考えられて、「本来を生きることの覚悟が決まったときですかね」とのお答え。

ですよね。
もう、何も言葉なかったです。

そうか、全てを引き受ける覚悟をなさったからこその、今のこのすっきりとした清々しいお姿なのだと、ただただ、納得でした。

もちろん外見もだけど、その在り方がとても美しくて。
私もそう在りたいな、そう在れるようにこれからも頑張っていこうと、よき刺激をいただきました。

Instagramでさやかさんを拝見したときから、その美しさや、タダモノではない感じの何かにぐぐっと惹かれておりましたが、

実際にお会いすると、そこに更に、気さくなお人柄や、相手の緊張を瞬時に解いてしまうようなユーモアたっぷりの話され方、そして何より、始終一貫して軸が保たれているお姿と、惹きつけられる要素増し増しでした♡

さやかさんにも、企画してくださった仲間にも、今回時間を共にさせていただいた皆さんにも、感謝の気持ちでいっぱいです。

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