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「学び」と「死」

どうも、くにたけりんと申します!
昨日の記事がたくさんの方に届いたみたいで、本当にありがとうございます!感謝しかありません

・昨日の記事「僕の両親のお話」

ということで11月初日の今日は『「学び」と「死」』について書いていこうかなぁと思いますので、ぜひ最後までお付き合いくださいーーい!

※今回の内容は養老孟司先生の著書「バカの壁」を参考にさせていただいております!450万部売れたらしいです、やばくね?

学ぶってなんだろう

大学生ということもあり毎日何かしらの学習をしている僕ですが、そもそも「勉強する」とか「学ぶ」とか「知る」って、なんでしょう?

結論「過去の自分を殺すこと」だと思います。

例えば彼女とよくきてた公園。彼女と別れた後にもう一回きてみたら、彼女ときていた時とは全く見え方が変わる、なんてことがよくドラマとかであったりしますよね。
あとは英語。英語を習得する前の海外旅行と、習得した後の海外旅行では、同じ場所に行ったとしても見え方・感じ方が全く違ってきそう。

これ、変わったのは「公園」や「海外」のような外部なのか、それとも内部である「人」なのか、どっちでしょう?
答えは紛れもなく後者の「人」ですよね。外部は何も変わっちゃいない。

学ぶって、多分こういうことだと思うんです。
つまり、過去の自分とおさらばする、過去の自分を殺す、これが新しいことを「学習する」とか「知る」ということの本質なのかもしれません。

やっぱり人間は可変量関数だ

以前どこかでお話したことあるかもしれませんが、経営資源のなかで唯一変わるのは「人」です。
他の経営資源、例えば「時間」とか「お金」は基本変わりません。昨日何を食べたか、明日どんな予定があるのか、さっきまで何をしていたのか、こんな感じで状況に応じて変わるのは「人」だけです。

ポイントは「情報」すらも変わらないこと。
現代人は情報を流転するものだと考えがちです。だから情報化社会だと言い、約束が守れなかったから切腹するなんてこともなくなり、「男子三日会わざれば刮目すべし」という三国志の言葉も死後となってきているわけですよね。
しかし、情報は流転しません。

ヘラクレイトスの有名な言葉に「万物は流転する」というものがありますが、確かに万物は流転しますが、彼の「万物は流転する」という言葉は流転したのでしょうか?つまり、言葉や情報は流転しないということです。あるのは更新のみ。

人は情報を流転するものとし、人自身を流転しないものと捉えます。「自己同一性」「私は私」なんて言葉は、このことを象徴するいい言葉です。

でも、昨日のあなたと今日のあなたは、全くもって同じでしょうか?10年前のあなたと今日のあなたは全く同じですか?そんなわけなかろうぉ

人は変わります、常に流転する存在です。だから、個性なんてものがあるのかどうかもよくわからないし、昔の誰が残したかよくわからない「男子三日会わざれば刮目すべし」という言葉も学んでおいて損はない。

人は常に変わり続け、過去の自分は死にゆくものだ。

どんどん学び、どんどん過去の自分を殺していこう。

最後までお付き合いくださり、誠にありがとうございましたーー!!

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