気づいたこと その2 共に生きる
夏野菜の準備で、畑を耕して、スギナの根を取り除きながら、こんなことを思いました。
5畝先は、マメ科の草が伸びて、ホトケノザがたくさん咲いている。 ぺんぺん草も花を咲かせている。
畑だから、あっては困るのか・・・?
ん???
あってもいいじゃん。
生きとし生けるもの、みんな仲良く育てばいいんじゃん。
そこから少し、おすそ分けを頂きながら、僕も生きていくっていうのでもいいんじゃないかな。
生産性・効率化、そのために他を排し、特化し、成り立たせるために色々なものを使い、安くていいもの出来ました・・・
戦後、食べ物がなかった。 だから、農業に携わる方々は、みんながひもじい思いをせずに済むようにと、懸命に努力してきたのです。 ササニシキ、コシヒカリの栽培用法を身を粉にして全国に懸命に広めた方がいらっしゃると伺ったこともあります。
こうした尽力ができているかと自分に問えば、恥ずかしい限りです。
でも、その一方で、共に生きていくという考えも、あってもいいんじゃないかなと思うんです。
非効率です。
でも、それは、『奪い合えば足らず、分け合えば余る』を、人間以外の生きとし生けるものに広げた考えだと思うんです。
恵みを、分け合って、生きていくって、とても大切だと思うんです。
大人になりきれない、あまちゃんな考えなのかな・・・。
そうしたことが難しいから、人間界なのかな・・・。