【ネタバレ注意】ジョーカー フォリ・ア・ドゥ【ラスト考察】
数ヶ月、いや数年前から楽しみにしていたジョーカー続編。
初日の1番早い回で鑑賞してきた。
酷評とされている作品だが、個人的には期待よりも大きいとんでもない作品を魅せられた衝撃作だった。
精巧なギミック、伏線の嵐。
眠くなると言われていたが、とんでもない。
最高のスタッフ、キャストから作られた“エンターテイメント”だった。
何が凄かったかを話したい。
ネタバレしかしないので全く観てない方は読まないで欲しい。
全体的な感想は他にも考察されている通りで、自身もほぼ同じ感想を持っている。
ただ、どちらかといえば前作はジョーカーは副産物でありアーサーそのものの弱者がどう変わっていくかを見ていたので今作の結末は傑作というか、彼らしい“辛さ”を受け止めた気持ちになった。
なのでこれ以上は割愛して
個人的に今作で気になった
・ハーレイ・クインについてを
主軸に感想と考察を書きたいと思う。
まず、この映画のダークホースは彼女なのではと考えた。
●レディ・ガガのハーレイ・クインについて●
まず、同作のヘビーなファンなら少し違和感を覚えたと思うがハーレイ・クインのキャスティングが
レディ・ガガであった理由だ。
私は聞いた瞬間違和感があった。
ミュージカル映画だから?とも思ったがもっとギミックがあるはず。
原作通り精神科医ならまだしも、患者として主人公アーサーと同じフィールドに立っているリーという女性の役に違和感を感じる。
でも鑑賞後は凄く腑に落ちた。
リーという人物はアーサー、すなわちジョーカーに心酔しており、近づくために数々の嘘をつく。
リーの真実は精神科医の子供で、自身も精神学科を専攻しているエリートの卵。
学んでいるからこそ、アーサーの洗脳、アーサーをジョーカーにさせることは容易だ。
薬を飲むな、弁護士をクビにしろ、そうすることでアーサーの妄想が悪化して、唯一の良心である弁護士もいなくなり自分の理想かつ研究材料のジョーカーにすることができる。
(唯一拭い去れなかったのはゲイリーだけ)
レディ・ガガのハーレイこそ知性とカリスマ、狡猾で残忍な人間で“ジョーカーを研究したら憧れすぎてジョーカーになった”人物なのだ。
マスコミを巻き込むカリスマ性を滲ませるシーンも頷ける。
弱者側の患者の役にしてはガガは強すぎるな、と思っていたが
完全な俳優よりも、独特な知性と世界観、カリスマを持ったレディ・ガガ以外この役は演じることはできないなと納得がいった。
もう配役が決まって情報公開されていた時点で
リーという役にとんでもない伏線が張られていたと、私は勘繰っている。
ジョーカーぐらいの影響力を発信できるキャストはレディ・ガガぐらいだからだ。
そしてジョーカーメイクもとても気になった。
アーサーの妄想では、ハーレイのメイクはアーサーのジョーカーのメイクに近い。青いシャドウ。
だが、現実のハーレイはどちらかというとダークナイトのジョーカーのメイクに近い。黒いメイク。
ここからはそうだったら面白い前提で書くが、
今作ハーレイとダークナイトのジョーカーが繋がっているかもしれないのだ。
●ラストシーンの青年について●
ラスト、因果応報のようにアーサーは名も分からない若き囚人にメッタ刺しにされて殺されてしまう。
死にゆくアーサーを尻目に青年は自身の口をナイフで裂いて映画は幕を閉じる。
ピンとくる人も多いと思うが、彼がダークナイト上のジョーカーになる“二代目”と匂わせる終わり方をしているのだ。
(心なしか、この囚人役の青年もヒース・レジャーに似ていなくもない。)
では、この青年がなぜ収容されているのか、この後バットマンとどう関わっていくのかを考えてみるととても面白いし、腑に落ちる点がある。
この青年は、ジョーカー一作目で暴動が起こったシーンでブルースの両親を殺した犯人である可能性が高いということ。
敢えて子供のいる前で親を殺す残忍さや、長く楽しめる“ジョーク”としてネタ仕込みのためにブルースに憎しみを植え込んだとしたら面白い。
さらに騒動で捕まった犯人は他にもいると思うが、彼はアーサージョーカーによって自分の残忍さに気づいて、獄中のやはり浮かれてイカれているアーサーを見て羨望の眼差しを送る。
羨望というより、この人は自分のサディスティックなジョークをどう料理してくれるかを窺っているのかもしれない。
でも、最後にジョーカーはただのアーサーであることを認め、せっかくのジョークを台無しに。
ならば、俺が面白くしようと殺したのではと勝手ながら考察している。
そして、彼にとびきりのジョークをかますために看守を唆したとしたら、鳥肌ものである。
そして、ここからが上に書いたガガのハーレイのメイクの話に近づくのだが
この新生ジョーカーはガガのハーレイがプロデュースしてダークナイトジョーカーとなったのではという考察だ。
作中、ハーレイは「マレーフランクリンを殺してくれる人を待っていた」と言うセリフがある。
ラスト、この青年はマレーを殺した一作目ジョーカーを模倣してアーサーを殺す。
終盤のハーレイにとって、夢を台無しにしたアーサーを殺したい気持ちでいて
見事それを叶えた青年に近づいて、自分が求める完璧なジョーカーに仕上げるために行動を共にしたのではないか?と考えると非常に面白い。
ハーレイが求めていた“自身の夢を実現する実験体“
に近づかないわけがないのだ。
よって、この映画で観客が求めていた
“ハーレイがジョーカーを連れてアーカムを脱獄する”展開は
この映画の“終焉後の世界”で起こるのではと推測する。
作品中はジョーカーとアーサーの2人狂いをみることになるが、
映画終了後に新生ジョーカーとハーレイの“2人狂い”が始まるのではないかと。
なのでハーレイのメイクはダークナイトのジョーカーに近いのではないかと。
最後の赤ジャケットのハーレイは
トッド・フィリップスのJOKER(カラフルなジョーカー)→赤ジャケット
ダークナイトのJOKER(ダークなジョーカー)
→黒いアイシャドウ+赤いリップ
で表現することで二つの映画の世界線を繋ぐ橋渡し的な存在になっていると推測するととんでもなくスケールが大きくなる。
そう考えると、この続編はダークナイトに託していて、故ヒースレジャーやダークナイトへのリスペクトも感じることができる。
考えたらキリがないが、私の考察がトッド・フィリップスの思惑に近いならば
このジョーカー続編はとんでもない伏線で構築された異次元な作品なので
個人的に一作目をみた時よりも、腰を抜かすようなストーリーになっているのだと思う。
まったく凄まじい映画を撮ったよ、トッド・フィリップス。
この考察は映画を観た人にしか話せないし、話すことも自分には難しいので文章に残した。
観る前にたまたま目に止まった人がいたら申し訳ないけれど、もし観た人がいて特にハーレイのことが気になったいたら共有できたらと思う。
とにかくとんでもない映画だった。
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