今日は、落ち葉の絵を描く
僕が未来のためにできることは、なんだろうか。絵を描くことな気がする。思いっきり下手くそだけど、描きたくなるから。
小さい時から、絵は嫌いでは無かった。でも、特別好きではなかった。じっとしているのが苦手だったから。でも、ふと美しい景色、ふと足元の自然に出会うと、これを絵に描けたらなと思う。
自分にとって絵とは?それはピアノに似ている。自分の感情、感性、その時の気持ち、願いを、心からそっと持ってくること。それが誰かに届けばいいと願うこと。でも、絵はピアノより静かで、音がない。そこにあることも気づかないかも知れない。
その静けさに何か救われる。見られなければ、人を不快にしない。ただそこにあるだけ。妙な優しさだと思っている。
その中で表現したいものがある。
僕は僕の思うように絵が描けない。ちゃんと習ってないし、自ずと勉強もしていない。集中力も続かない。でも、絵が好きだ。色が好きだ。
絵は、思うように描けなくても許してくれる。自分のなかで、「味がある」と許してあげられる。実物とは違う色になって、そんな時自分の好きな色を勝手に混ぜて、新しくできた「それ」をニコニコ眺める。色付いた「それ」はなんとも鮮やかで、心が躍る。
実物の横にあるささやかな自由。
生まれてきた新しい色。
そんな世界になったらいいと思う。自分の思うようにならなくても、生まれたものをニコニコ眺め、音がなくても、何かを伝えるような。色んな色に染めても許させるような。
そんな、寛容な社会。
騒がしさを好む人もいるだろう。そこにはそういう絵とそれを喜ぶ人が集まる。そちらにも、たまに顔を出すかも知れない。
でも、僕は自分の絵を描く。多分1番愛せるだろう。そしたら、人の絵の温もりに気づくだろう。
相変わらず集中力は続かない。飽きる。でも、描きたい絵がある。だから、下手くそな絵を今日も描いてみる。他の人の描く絵も見てみたいと思う。
落ち葉の絵を描いてみる。できれば大切に描きたい。でも、難しいかも知れない。何でもかんでも大切にはできない。
でも、美しい自然に心を向けていたいから、、
明日は絵を描けるだろうか。
明日はピアノを弾くのかもしれない。空を眺めるのかもしれない。絵を描かないかもしれない。でも、その行いに祈りがあれば、平和への祈りがあれば、
それはきっと、最もささやかに見えるけど、未来のためにできる最も大きなことだと思う。