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僕は生きながら死んでいる


はじめに

このエッセイには
センシティブな表現が含まれています。
学校の事や精神・身体疾患で苦しんでいる方、
「生命」に対して過剰に反応される方は
閲覧に注意するかお控えください。
完全な私事で
「知らんがな」となる内容ですが
自分の経験した現実を記事として
投稿するものです。

















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朝日が差し込む教室

登校した僕の机に
菊の入った花瓶が置かれていた


あの日 僕は死んだ


その学校で
クラスメイトから受けた行為については
読んで不快に感じる人がいるかもしれないから
割愛しよう
自分の傷を抉りたくないからというのが
一番なのかもしれないが...
一応言うなら
目の前の事に感覚がマヒするレベルではあった

一番許せなかったのは
担任だった

自分の悩みを吐き出しても適当に流し
ストレスが溜まり不遜な態度を取った僕には
人目もはばからず怒鳴りつける

自身のクラスのアットホーム感を
他の教員に強調でもしたかったのか
オラついている生徒には何も言わず
逆にいじめにあっている自分を標的にして
問題児に仕立て上げた

事なかれ主義を地でいく クソ野郎だった


高校に入っても
結局はいじめのターゲットにされたようだ
感覚がもはや完全にマヒして
殆ど感じる事は無かったが...


運良く就職が決まった時
社会で土を踏まない様に
僕は鏡の前で
自分に暗示を掛けた


「お前の調子に乗りやすい性格が
いじめの原因だ、もっと無難になれ。
大人しくあれ、優しくあれ。」

来る日も 明くる日も
毎日 毎日...



社会に出て
それは効果を成したと思っていた

人付き合いに困ることは
余りなくなった
仕事で成果を挙げれば
没個性の方がむしろ都合がよい事もあった


しかし
人の根幹を完全に変えることなど出来ない


ある年 人事異動で
「和」をより重視する職場に配属された

最初の内は居心地の良い環境だと思った
自分もそれなりに付き合いのノウハウは
身に付けたつもりでいた



その日は 突然来た


仲良くやっていたと思っていた同僚に
ある日から突然無視される様になってしまった


周りから聞いた話だと
その日回された現場に不満があり
仕事の割振りの権限がないはずの僕を
「あいつのせいだ!」とけなしていたという


未だもって真偽はわからない
八つ当たりだったのかもしれない


無視されて人間関係に問題が出てから
環境も 自分も壊れていくのに
そう時間は掛からなかった


負の連鎖というものは確実にある


自分の組まされるメンバーが
問題児だらけになっていく
人事異動ラッシュで
上司が入れ替わってから
更におかしくなったのだ

無視する奴 仕事をサボる奴
「お前の悪口言ってた奴がいる。」とか
バカみたいな報告をしてくる奴
自分の事を棚に上げて
僕をターゲットに怒鳴りつける
理不尽な上司
板挟みの日々が五年は続いた

仕事をしっかり評価してくれる上司もいたから
首の皮一枚繋がっていた
それでも...




僕とは違う人だが
同じ時期にパニック発作や過呼吸で
何度も会社から救急車で運ばれていく人を

「だったら会社辞めちまえよ。」
嘲笑する人間が数多いた
これが現実にあったのだ



五年間の早い段階で
僕はすでに心療内科の主治医から
「抑うつ状態」「適応障害」の症状を指摘されて
部署異動を促す診断書を会社に提出したが

数ヶ月間だけ別部署に逃げ込ませただけで
すぐに元の地獄の部署に戻された

ある日の産業医との面談
訳もなく涙が溢れ
止まらなくなっていた
30分間泣き続けるしかなかった

限界なんてモノは とうに超えていた

主治医の判断で休職が決まった
僕はこれでニ度目の死を迎えた



休職期間中に
ある催事で久しぶりに会った親族から
こう告げられた

「今だから言うけど、学生時代のお前と
社会人になってからのお前は全然違う人間に
見えてた。
昔の調子に乗ってるお前の方が
ムカつく事もあったけど好きだった。」と

僕は 学生時代のあの時
鏡の前で自分を殺していた事
既に二度死んでいた事に気付かされた



もう 自分が何者なのかもわからない



社会から長く遠ざかるのが怖くて
一年半支給される傷病手当金を
一年弱で切って別の部署で復職したが...


既に三度死んでる人間に
務まる事など何も無かった

無理して働いた結果
会社自体への拒絶反応が日に日に強まっていき
自律神経のバランスが崩壊し始める

頭痛 動悸 強い吐き気 腹痛 背中から腰の痛み
それらが入り混じって立ち上がれなくなる程の
死を覚悟する程の恐怖感...

心も体も今度こそ完全に捻じれ壊れて
粉々に砕け散った


会社を辞めるしかなくなった
これで僕は四度死んだ



それから今に至るまで
病院のデイケアに通ったり
就労継続施設でリハビリをしたり
死んでるなりにも努力はしているつもりだ


一度だけパート勤務で社会復帰を試みた事がある

それは即座に五回目の死を迎えただけだった



このエッセイで僕は
「死」というワードを
「安易に使っている」と
批判を受けても仕方がないくらい使っている


自覚はある


それでも使わざるを得ない現実がある

僕の受けてきた今までの事
その都度自分を変えようとした結果
空っぽになって壊れてしまった自分
リアルで人間不信になっている自分


人は経験によって誰しも変わっていく生き物
僕は悪い方向に変わってしまったようだ
いや もはや
それすらも分からない

ただ一つだけ言えるなら


「身勝手」という事をしなかった
出来なかった事


実は
この「身勝手」という言動を
正しい解釈でメンタルヘルスに活用できれば
うつ予防のキーワードになるんじゃないかと

割と本気で思ってたりする



noteを始めてから
僕は本来の自分をずっと探している

作品やコメントに紡ぐ言葉が


偽りの自分か 本当の自分か...

答えが安易に出るとは思わない
だから 書き続けたいのかもしれない
筆が折れて 休みながらでも


ここまで
自分なりに心を抉りながら
この文章を書いてきたつもりだが
最後に痛みを抉りだして
この記事を締めたいと思う



「僕はいまも、死にながら生き続けている。」







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