アルベルト・フジモリ大統領死去

 第54代ペルー大統領、アルベルト・フジモリ(旧姓:藤森謙也)氏が86歳で死去したことが明らかになった。

 フジモリ氏は日本人移民の子として現熊本県熊本市にあたる河内町からペルーに移住した両親のもとに生まれた。その生涯は「賛否両論」という言葉がふさわしいもので、フジモリ氏の死去に対して、ペルー国内では悲しむ声と共に批判的な反応も見られ、その評価は今も分かれている。

大統領には実に10年間在職し、その間に市場開放やインフラ整備などの政策を進め貧困層の生活向上に貢献する政策を実行した。そんなフジモリ氏の大統領としての行動の中で起きた最も大きな出来事は1996年12月に発生した在ペルー日本大使公邸占拠事件であろう。

以下がその事件の概要である。

 1996年(平成8年)12月17日午後8時30分ころ(日本時間18日午前10時30分ころ)、在ペルー日本国大使公邸(以下「大使公邸」という。)において、ペルー政府関係者、各国の大使その他の外交官、ペルー在住の邦人等多数を招待して開催された天皇誕生日祝賀レセプションに、「トゥパク・アマル革命運動(MRTA)」(以下「MRTA」という。)を名のる左翼テロ組織が、爆発物等を使用して侵入し、大使公邸を占拠する事件が発生した。MRTAの指導者ネストル・セルパ・カルトリーニをリーダーとする14人から成る犯人グループは、手りゅう弾、自動小銃等で武装し、当初、この種事案では過去最多の約700人に上る人質をとり、その後4箇月余りにわたって立てこもった。
 事件発生当日、犯人グループは、地元マスコミを通じて犯行声明を出し、その中で、ペルー政府に対し、「収監されているMRTAメンバー全員の釈放」「中央アマゾン地方までの護送と安全な逃走の保証」「経済政策の変更」「『戦争税』の支払」の4項目を要求した。(引用:警視庁)

 この事件に対してフジモリ氏は人質の大部分の救出に成功した。最終的に犯人グループを射殺するという対応を取り、独裁的な権限に対して批判も招いた。

 また、賄賂を巡る政府腐敗問題についてのメディアに対する言論統制を行ったとされ批判を招いたこともあった。

 86年間の人生の中で亡命に逮捕、晩年には癌を経験しながらも大統領への再起を目指し続けていたその強さは賞賛に値するであろう。アルベルト・フジモリの名はペルーにこれからも根付き続け、ペルーの政治史にその名を深く刻まれ続けるだろう。


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