見出し画像

「口訳 古事記」を読んで

今日は風はあるものの天気は晴れ。今更のように暑い一日でした。台風の影響はまだまだ軽微です。

さて、……。

先週まで町田康さんの著作である標題の本を読んでいた。ひとことで感想を述べれば、とても面白かった。

実は、この本との出会いは数奇な巡り合わせであった。それを以下に記す。

正月明け、まだ実家が残っていた頃、私は実家の中を整理するために東京から車で向かった。その帰り道、予想通り渋滞にハマったのである。

それ自体はいつものことなのだけど、その時、カーステレオで普段は聞かないラジオ放送を何の気なしにつけた。

そこが山あいで受信できる電波も限られた中、1番クリアに聞けたのがNHK。その時たまたまこの本の朗読が行われていた。

シーンは高天原を追われたスサノオの命が八岐大蛇を退治するところだった。ちょっと聞きなれない関西弁の語りが軽妙で、とても興味を引いた。

もし自分がたまたまラジオを聞こうと思わなければ、そしてこの放送の電波が1番よく聞こえる状態ではなければ、更にちょうどこの朗読が行われていなければ、この本との出会いはなかった。

ものすごい偶然の重なった一期一会であったことを思えば、私はこの本に出会うべき運命にあったのだろう……大げさだけど。

ただ、最近は本の購入はできるだけ避けている。単純に家が狭いからだ。

そのため、近所の図書館に借り受けを申し込んだのだけど、60人くらいの予約が入っていた。そして半分忘れかけていた今頃になって、やっと順番が回ってきた。

本書の内容は、はるか昔に読んだ子供向けの古事記や学習漫画日本の歴史等と抵触する部分は意外と少なく、すんなりと読めた。

ただ、この本はキチンと神様の名前をトレースし、別名も含めて丁寧に記載している。最初は読みにくさを堪えて真面目に読んでいた。でも、とても覚えきれないので途中からその部分はスルーすることにした。ストーリーに影響しないからだ。

古事記は高天原から降りてきたイザナギ・イザナミの国産みから話が始まる。国津神が天津神に従い、途中で神武天皇が登場して人の世にシフトしていくのだけど、神様の時代の方が物語としては面白い。

人間であること、そしてこの世の常識が制約になって、荒唐無稽さが薄れるのが原因だと思っている。

ちょっと聞きなれない関西弁で淡々と語られることで、静かなおかしみが増大される。それがギャグとしてではあるがリアリティを持たせてくれる。登場人物が生き生きと描かれ、本当にあったのかも知れないという錯覚を生む。

アレコレ小難しい知識を要求されずに先を読むのに集中できる。そんな本である。

なお、読んでいるうちに関西弁と神々の「いやよー」「こわいー」の台詞がしばらく脳裏から抜けなくなる。これが弊害と言えば弊害である。

お読み頂き、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。