がんで失ってよかったもの
即答で「髪の毛」だ。間違いなく。
正確には、失った後で「あ、なくてもよかったんだ」
と気付かされたものになるけれど。
髪の毛を洗うのが一瞬で終わるとか、
自然乾燥でいいからドライヤーの手間がないとか、
そんな当たり前のメリットを挙げたい訳ではない。
(かなり楽なのは事実なので、その点は坊主もオススメ)
自分が自分らしくいるために、
自分が周りから好きでいてもらうために、
それは絶対になくてはならないものだと思っていた。
みんなも髪の毛、失いたくないでしょう?
そうだと思い込んでいたけれど、隣にいてくれる嫁さんは、その坊主頭を見て「かわいい」と言ってくれるのだ。
どんどん髪が少なくなる自分が気持ち悪くて嫌で、バリカンで剃ってほしいとお願いした時も、「ジョリジョリだね〜」なんて言いながら楽しそうにしてくれていた。
ちなみにぼくは文章を書く時、自分の嫁さんのことをどんな呼称で書いていいのか未だに分からない。「奥さん」は使い方が間違っているのは分かるから、残されたのは「妻」か「嫁」だ。でもなんとなく呼び捨てで呼ぶのは違う気がするので、やっぱり「嫁さん」と呼ぼうと思う。
そんな彼女が髪の無くなったぼくに「何も変わらないよ」と、さも当然のように言うから、「あれ、髪の毛なんてこんなものだったのか」とも「世の中にこの言葉を掛けられる人がどれだけいるんだろうか」とも思うようになった。
失くしたせいで自分が自分じゃないように思えるもの。
これこそが自己を肯定できるアイデンティティだというものを失ってしまったとしても、「何も変わらないよ」と笑顔で言ってくれる人が隣にいることは、たぶん泣けるほど幸せなことなんじゃないだろうか。
何にもこわくないみたい。
髪がなくても病気でも、自分のことをこんなに好きでいさせてくれてありがとう。嫁さんに出会う前までの自己肯定感が低かった過去の自分に、今を見せてあげたい。
本当に幸せそうだから。