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シーモア•グラース

 常に何かを考えている。バスに乗った老人の行先や、乳児が発する知らない言葉の真意、争い、1週間前に期限を過ぎた公共料金。思考がうるさいなと常に思っている。そこにさらに追い討ちをかけるように、様々なことが降り注ぐ。”もう何も考えたくないな”と考えている。そうやって暮らしが続いている。何も変わらない毎日に、自身の感情だけが右往左往している。

 ある一冊の本を読んだ。J•D•サリンジャーのナイン・ストーリーズ。その中から特に「バナナフィッシュにうってつけの日」この中での主人公の名は「シーモア・グラース」。彼は海に来ていた。ある少女と話し、バナナフィッシュを見つけに行こうという。もちろん架空の存在しない生き物。その生き物は、バナナがどっさり入ってる穴の中に泳いで入って行き、入るときにはごく普通の形をした魚だが、いったん穴の中に入ると、豚みたいに行儀が悪くなる。そんな生き物を少女は見つけたと言った。そうして、ホテルに戻ったシーモアは、エレベーターで一緒になった女性に「醜い足を見られた」と言いがかりをつける。その自室に戻ったシーモアは妻を見て、拳銃に装填し自殺するのである。

 彼の過去についてここで詳しく書かれているわけではないので私は彼の気持ちが全てわかるわけではない。いろんな誘惑がある。それが例え”死”であるかもしれない。壮絶な過去、脳裏に張り付いたトラウマ、しかし苦しみの先に”死”を見出してはいけないなと心の底から思った。どうしようもなく不安になる夜がある。それなのに、手のひらを返したように幸せな日々がある。全ては潮の満ち干きのように、グラスの氷が溶けるように、こちらにやってきたと思うと、
 あちらに遠ざかったりする。しかし必然であることを必然だと思ってはいけない。

このシーモアという楽曲は私を救ってくれます。それと同時に苦しかった日々を刺青のように自ら彫ったのである。

https://youtu.be/QjmJoQV_V7k

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