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60.自分で未来を選んで良かったモノ。

自分で未来を選んで良かったものは、それはハッキリと言える。それは、亡くなった彼を自分のパートナーとして選んで良かったコト。

例え、ドラえもんがいて彼との未来が見えて
「彼は途中でいなくなるけど、本当にいいの?大変になるよ。それでもいいの?」
と言われても私は、彼をパートナーに選んでいた。
そして、私にはもったいないぐらい最高で素敵な人だった。

私達の夫婦は、付き合って3ヶ月で子どもを授かり、お互いに年齢的な事もあり、すぐに結婚した。

ただ、今までの恋愛の中で一番落ち着いてそして、スムーズに進んだ恋愛だった。

私の彼は9コ年上のスラリとしていて背の高い人だった。時々、見せる優しい目が私の中で安心感となり、いつの間にか惹かれていた。
私と彼との出会いは、友達主催のバーベキューで出会い、その日はお互いに深い話はしなかった。

けど、みんなで異性のどこが好きになる?
という質問に
「笑顔が可愛い人。」
と答えたのが印象的だった。

「趣味はボルタリングです。」と何かの話しのきっかけに聞こえ、ボルタリングをやりたかった私だった。だけど、周りにボルタリングをやっている人もいなかった。だから、初めて彼がボルタリングをやっている人だったから、自分の中でこれはボルタリングに行けるチャンスだと思い私から

「今度、一緒に行きましょう!」

と声を掛けた。
そうしたら、トントン拍子で話が進み、みんなでバーベキューをした一週間後に彼と2人でボルタリングに行った。

最初、彼にボルタリングのスポーツの説明をしてもらい、あとは別々でボルタリングの課題をこなしていった。

休憩中も他愛のない会話が続いていたけど、
自然に話しても全く飽きず、
ボルタリングの後に飲みに行ったが、
そこでゆっくり話せた事が良かったのか、
急にお互いの距離が縮まったのを感じた。

そこから、付き合うのに時間はかからなかった。

そして、付き合って3ヶ月で子どもを授かり、
慌ただしく引っ越しをして、
一緒に住み始めて、
クリスマスに結婚した。

婚姻届にいった日は、お互い仕事だったので仕事を終わってから、婚姻届を夜間休日受付に2人で一緒に行って提出した。
その日に食べたご飯は、お好み焼きだった。

その日からの結婚生活は、たったの10年しか一緒に居れなかった。一緒に過ごした時間はたった10年だったけどこの10年は短かった。
あっという間だった。

ある日の車の中の会話で、
「今年でもう結婚して10年だよ。早いね〜。」と彼に話したら、
「そうそう。だから、今年のクリスマスは、母親に子どもを預けて、2人でお祝いしようと思っているんだよね。」

まだまだ、クリスマスまでの時間は充分あったのに、先のことを考えていた彼の提案に嬉しく、
「じぁ、美味しいご飯食べに一緒に行こうね。」
って約束していた。

だけど、この約束の前に彼がこの世からいなくなってしまった。

もっと一緒に、子育てしたかった。
もっと一緒に、子ども達の野球が観たかった。
もっと一緒に、色んな会話したかった。
もっと一緒に、子ども達のこと話したかった。
もっと一緒に、旅行に行きたかった。
もっと一緒に、ご飯を食べに行きたかった。
もっと一緒に、東京に行って友達に会いに行きたかった。
もっと一緒に、写真を撮りたかった。
もっと一緒に、スポーツしたかった。
もっと一緒に居たかった。

けど、その願いは去年の10月で終わってしまい、もう私の中で叶うことができない夢になってしまった。

だけど、パートナーに彼を選んで良かったと心から思う。

9コ違いの年上の彼だったけど、
彼と一緒に過ごした時間も、
一緒に話した時間も、
彼と愛した時間も、
今となっては、物凄く愛しくて悲しい時間となっている。

私には彼がいなくなるなんて、全く想像もしていなかった未来。

だって、誰よりも健康に気を遣って、
誰よりも食事にこだわって、
誰よりも運動して、
誰よりも先の未来を考えて、
誰よりも家族のことを考えてた、
誰よりも病気から離れた生活をしていたから、
そんな彼が病気になるなんて、
彼がいなくなるなんて思っていなかった。

一緒に子育てして、子育てが終わったら2人で旅行してと思っていたけど、彼がいなくなるという想像は全くしなかった未来だった。
だけど、新しくドアを開いた未来でもある。

それは、シングルマザーとなって、
まだまだ発展途上の新しいドアを
迷いながら、
たまに、休みながら、
私になりの鍵を見つけ、
その鍵で新しいドアを開き、
周り道をしながらも、
真っ直ぐ、
「なかなか大変な人生だったけど、楽しかった人生だった。」
と言えるようなドアの先に私は進んでいきたい。



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