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モノに埋もれる日本〜布団だけ置いていたアパート、どんどんモノで埋め尽くされる
3年ぶりの日本帰国、子供二人と私、後から夫のボブさんも来るし、何より外国から里帰り、高齢の両親に迷惑がかかってはいけない、と帰省の1ヶ月強をアパート借り暮らしをすることにした我々。
コロナ禍ですから感染対策がその大きな理由。
運よく短期でも破格の値段でアパートが見つかり、家具はないけどとりあえず両親と同居するより感染などのリスクは低いだろうし、高齢の両親は我々4人の面倒を見るのは大仕事でストレスがかかることだろうと考えたわけです。
まあ寝るところがありゃいいさ、と気軽に考えていました。
が、そんなことを言うと皆が口を揃えて、
「え?でも少し料理くらい作るでしょ」
「テレビや冷蔵庫も必要じゃない?」
「テーブルや座るところだって」
いやいや、いらない大丈夫、と言う私の声をよそに、あれよあれよとアパートが家具、家電で埋まって行きました。
わずか入居三日後にテレビも、冷蔵庫もおかれていったのです。
お皿、テーブル、生活の細々したものの数々。どんどん増えていきました。
自慢ではありませんが、一つも私が購入したものではない。
どこから来たか?
実家と隣の兄夫婦、親戚の家から家族4人で易々と暮らせるであろう、生活用品一式が各家庭から出てくるではありませんか。
従姉妹の家なんて、テレビは数えたら4台も。
(そのうち1台を貸してくれた)
実家には冷蔵庫が2台。(今現在3台に増えた)
実家の倉庫にはダイニングテーブルと椅子(四脚)のセットまで!
その他細々したフライパンとかオタマとか、とにかくいろんなものが出てくる出てくる。
兄夫婦からは「トースター」(ほとんど未使用、新しいの買ったからいらないの、だそうで)や「扇風機」(のちに判明したが、これは4台も所有していた)を借用。
「何も買わないでね、あるんだから」と義理の姉。
いや、本当ですね買う必要はない。家に複数所有しているんだもの。
ほんと待て待て。
てか、なぜ????
そんなに同じものを複数持っているのか!?
一つあったら買う必要ある?
むしろ、使えない、壊れたから買うのではないの?
一つ所有したら、古いものは捨てないのか?なぜ取っておく???
どなたか、この疑問に答えてくだいませんかーーー?
と言うわけで、布団だけだった私らの古い2LDKアパートはどんどんモノが増え続けていったのです。
放っておいたら、電子レンジも、炊飯器も、コーヒーメーカー、いやエスプレッソマシーン、ジューサーだって簡単に手に入ったでしょう。
それもタダで。
前から感じていたけれど、物に溢れすぎている日本。
実家だって、一度改装した時に随分とモノの処分をしたはず。
なのにまたモノが溢れ、置くところもないから外に溢れ、廊下も外の庭の通路もどんどん狭くなる一方。
高齢になった両親は、複雑なゴミの分別も難しく、面倒に感じているのか、捨て方を調べるのも億劫なのだろうと容易く想像できます。
いやそうじゃないのかも。物に囲まれていたいのかもしれません。
「お母さん、少しずつ処分した方がいいよ」と言ってみるものの、「もったいないから」の一点張り。
戦後のモノのない時代を過ごした母には「捨てる」の行為は理解できないのかもしれない。
でも、このままだとモノに埋まって、モノに殺されてしまうんじゃないかと思うのです。
これはウチだけではないはず。
隣の佐藤さんや山田さんや、住んでいない2件向こうの空き家だって、窓からモノが溢れているのがわかる。
そう思うと、恐ろしい。どんなにモノで埋め尽くされているのかと想像すると、私が解決できる問題でもなく、関係ないかもしれないけど、やりきれない気持ちになるわけです。
どうしてこんなにモノを集めるようになってしまったんだろう。
モノを手に入れると、幸せも手に入ると思ったからなんでしょうか。
でも、高齢の両親に、カナダ暮らしの物理的にとても遠い私が、何ができるって言うんでしょう。
続きます、、
タイトル写真はかつてのうちのリビングルーム、、おもちゃで溢れている→でも毎日、モノが増えないよう、寄付したりします。。