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アンドロイド・オシロスコープ

あらすじ
今よりも化学が進んだ世界。東京はアンドロイドと人間が共存する地となっていた。
夏の日差しが照りつける昼下がり。偶然出会った僕とアンドロイドの彼女は、その出会いによって互いにかけがえのないものを知る。

「東京」「二人の波形」をテーマに織りなすピュアで少し切ない恋物語。



アンドロイドは夢を見る。 いつかこの脈が止まってしまうのなら、私はーー

 お昼時、ベッドに横たわりながら眠りにつく彼女の腕を取り、脈を測る。
「………ふふ、なにしてるの?」
「起きてたの?」
「感知センサー付いてるから起きちゃっただけよ。それよりなんで脈測ってるの? あるはずないのに」
「いや、まぁそうなんだけどさ」
「………やっぱり生きてる"人"のほうが良かった?」
「なんで、そんなこと言うの。君だって生きてるじゃないか」
「……そうね」
そういって彼女は困ったように笑って見せた。
 あぁ、また僕はやってしまった。彼女が人間ではないことを十分に知っているはずなのに、こうして彼女を困惑させるようなことばかりしてしまう。

 色白で細い腕。柔らかい皮膚のそれは人間とは全く変わりのないものなのに、彼女には脈がない。


 介護現場での人手不足を解消するために始まったアンドロイド開発。しかしその需要は見る見るうちに広がり、様々な業界から必要とされた。その需要性により精度は年々高まり、今やアンドロイドは僕たち人間と共存できるまで、進化を遂げた。
 日本の中心であるここ東京では、少し前から人間とアンドロイドとの結婚も認められるようになったという。

「……少し君と出会った時のこと思い出してたんだ」
「懐かしいね、もう随分前のことのように感じる」


 人間社会にアンドロイドが生存していたとしても、その見た目は僕たちと変わらない。街を歩いていてもどれが人間でアンドロイドかなんて一瞬で判別できない。ましてやこの東京でそれを見抜くのは至難の技だった。それほどに彼らはこの街に溶け込んでいるのだ。

 彼女と出会ったのは夏の日差しが照りつける昼下がり。肌に張り付いたシャツの気持ち悪さを感じながら信号待ちをしていた時、同じ様に待っていた彼女がふらっと倒れたのだった。あまりの突然のことで驚いた僕はとにかく必死で、君が人間ではないことなどこれっぽっちも気付かなかった。

 そうして彼女と再会を果たしたのは実に数日後のことだった。
「今日からここで働くことになったから、みんな面倒みてやってくれ」
 部長の紹介でぺこりと頭を下げた彼女は僕の存在に気付き、柔らかな笑顔を浮かべた。

「まさか、こんなことあるんだ」
「ほんとびっくりですね」
そう言って笑みを零す彼女の肌は、あの日差しの中を歩いていたと思えないほどに色白であることが窺えた。

「もう大丈夫なんですか? 倒れた時、身体めちゃくちゃ熱かったから熱中症だと思って。しかも脈なかったから危険だと」
「はい、おかげさまでもう大丈夫です。熱さでショートしただけでしたし」
 彼女からの返事は、危険な状態であったにも関わらず不思議なほどに落ち着いていた。
ん? ショート?
「それに、私元々脈ないですから」
「え?」
 そう言うと彼女はいきなり僕の手を掴むと、自らの左胸へとその手を当てる。 「へっ? ちょ、ちょっと何やって」
「まあまあ」
 彼女は特に恥ずかしがることもなく、ね? と僕に確かめる様に問う。

 そう、本当になかったのだ。本来人間にあるはずの心臓が。


――――――


「はーほんっとあの時の顔、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔してたよね」
 わははと声を出して笑う彼女。こうしていると彼女がアンドロイドだということを忘れてしまう。
「笑い事じゃないって。ほんと気絶するところだったよ。それに、実際にアンドロイドに触れたのだってあれが初めてだったんだから」

 一般企業へのアンドロイドの導入が始まってすぐに、彼女はうちの職場にやってきた。アンドロイドと働く、なんて前例はもちろんなかったが、彼女は実に優秀で難なく仕事を進めていた。
 だから、僕たちはすっかり忘れていたのだ。仕事のできる彼女が人間ではないことを。

 怒鳴り声と共に漏れ聞こえたばしゃっという水音。嫌な予感がして、会議室に駆けつけると顔を濡らした彼女がいた。どうやら、怒った取引先の客にお茶をかけられたようだった。
「ちょ、大丈夫!? 流石にこんなのひどいだろ、相手は女の子だぞ!?」
 ポケットからハンカチを取り出し彼女に渡す。
 ありがとうございますと礼を言う彼女の目は、どこか遠くを見つめていた。
「女の前に私はアンドロイドです。今回のことは私のミスですし、人間ではない私に対しての対応として特に間違ってはいませんので」
 初めて見る表情。淡々と喋る彼女は本当の「アンドロイド」のように見えた。

「すみません、もう大丈夫ですので」
 彼女は背筋を伸ばして、立ち上がる。何か言えと心の中の僕が命じる。
「……確かに君はアンドロイドかもしれないけど、僕たちと一緒に働く仲間だし、そこにそんなの関係ないだろ。同じように生きてるんだから」
 彼女のすらりした足が立ち止まる。
「かもしれないじゃなくて、アンドロイドです。脈がないのはわかったでしょう?」
「そ、そうだけど、今はそんなの関係なくて、何があったの? 君が失敗するなんて珍しいから」
「…………」
 流れた沈黙に僕は少し唾を飲み込む。今、彼女は一体どんな顔をしているのか。
「本来アンドロイドは人のために作られた存在です。なのに、役に立たない上に迷惑をかけている。あってはならないことです」
 まるで前々から用意されていたかのような決まり文句。
「ですので、あなたが訊く必要はありません」
「なんでそうなるの、これは仕事をしていく上で必要なことだよ。ミスは共有する。これ絶対。今すぐインプットして」
 アンドロイドならすぐできるでしょといたずらっぽく言うと、あれだけ虚勢を張っていた彼女は押し黙り、肩を落とす。
「分かりました」


 結論として彼女の提案書類は実に素晴らしいものだった。しかし、その出来に嫉妬した相手が怒ったというなんとも理不尽な話であった。
「いやいやそれは完全に向こうが悪いでしょ、文句言ってやる」
「いえ、私が悪いのです。私が、理解できなかったので」
「何を……」
 そう問うと、彼女は表情を一層固くした。
「感情です」
「かんじょう?」
思わずオウム返しをしてしまう。僕の間抜けな返事に彼女はこくりと頷く。
「気持ちが、わからないのです。こちらの提案の方が明らかに効率の良いものでした。だから私は、彼の考えを否定しました」
 
 外では、アスファルトの熱を浴びたセミが今日もけたたましく叫び声をあげている。

「彼は言いました。こちらにもプライドというものがあると。しかしその必要性の価値が私にはわかりません。自分はそれを不必要だと申し上げたのです」
 彼女の長い髪から水滴がぽたっと落ちる。少し覗いた横顔からは、その感情は見えない。
「それは、」
 どうしようもないことだ。だって彼女は人間ではないのだから。いくら人工知能が備わっていたとしても、機械は機械。人間の一番複雑な感情を理解することは難しい。でも、しょうがないと声をかけるべきなのか。彼女の人間と共に生きるための努力を、その一言で片付けていいのか。
 慰めの言葉すら与えられない自分に悔しくなり、唇を噛む。
「私たちがアップデートをしていくためにはデータが必要です。あなた方人間の感情は、私たちにとっては不安定すぎます」
 データ、僕は復唱する。
「そうかっ!」
 突然響いた声に肩を震わす彼女。
「だったら、データ化してしまえばいいんだよ」
「……どういうことですか」
 表情は変わらない。けれど先ほどより少し柔らかい印象に変わった気がして、僕は安堵する。

 咄嗟に目の前にあった紙と胸ポケットのペンを掴み、筆を走らせる。のちに彼女はその時の僕を、いいことを思いついた時の無邪気な少年のようだったと笑った。
 
 中心に横線を引く。そこに不規則な山を上下に2つ書く。
 二人だけの会議室に、紙が擦れる音が響く。それは心地の良い音だった。
「これは一体……」
 興味ありげに覗き込む彼女に、僕はつい得意げになる。
「感情の起伏を波形で表したものだよ、小学生の時授業でやったこと思い出してさ」
「オシロスコープのような……?」
「電気信号ではないし、アナログ的だけどね」
 あまりピンときていない彼女に、僕は続けて説明をする。
「例えばこの平らなところは、平常心って感じ。いつも通り、普通の時」
 ボールペンの先で指し示された箇所を見つめる彼女が、いつもより素直に見えて可愛さを感じる。
「そんで、この一気に下がった山の先、ここは僕が部長に怒られてめちゃくちゃ沈んでる時」
 先日の失敗を思い出して、思わず身震いをする。あの時の顔やばかったでしょ?と苦笑いを浮かべる僕に、顔面蒼白でしたねと冷静にツッコミを入れる彼女は、やはり人間的だ。
「それでここは、その失敗を君がカバーしてくれた時」
 ペン先を見つめる彼女が瞬きをする。
「この時のあなたは、どんな気持ちだったんですか」
 そう質問をする声色も変わらない彼女を横目に、僕はつい気の抜けた笑顔になってしまう。
「よかったーって安心してた、やっぱりできる子だなって」
「そう、ですか」
 再びその長い睫毛が上下に揺れる。
「人間はさ、悲しんだり喜んだり大変だけど、でもそうして色んな感情を抱くことで成長していけるんだ。君と同じようにアップデートするんだよ」
 彼女の瞳が僕を捕らえる。綺麗で真っ直ぐな瞳だった。
「あの人も、君の素晴らしいアイデアに嫉妬したんだ。自分の積み上げてきた経験を否定されて悔しかったんだよ、ただそれだけの話。だけど、人間にとってそれは酷く感情を揺さぶられることだったんだ」
「……そうですか。人間というのは大変なのですね」
そうそう、繊細でごめんねと謝る僕に君は首を横に振る。
「いえ、私たちアンドロイドも精密機械ですので。面倒臭さは同じです」
そう言ってふっと微笑む彼女はとても可憐で、人工的な笑みではなく、初めて心から笑顔を見せてくれたようだった。


―――――


 だらだらと寝そべる僕の隣で、彼女は少し起き上がり近くにある引き出しから複数枚の紙を取り出す。
 見慣れた波形と汚い文字。何度も書いたそれを彼女は今も大切に持っていた。
「なに、それまだ持ってたの? もう必要ないでしょ」
「必要大有りだよ、私にとっては宝物なの」
 愛おしそうに紙を撫でる。君の目には今なにが見えているのだろう。
「他にも宝物あるでしょ、写真とかプレゼントとか」
「それもそうだけど、これにはたくさんの思い出が詰まってるの。感情について教えてくれたあなたが一番わかってるはずでしょ?」
そうしてむうっと頬を膨らます。僕の彼女はずいぶんと表情豊かになったなと素直に嬉しくなる。
「それに、ここにはあなたが私に『好き』を伝えてくれた証があるから、絶対手放したりしないよ」


 もう何回目かもわからないそのやり取りの中、僕は彼女にこの想いを伝えた。思えば彼女に惹かれたのは、再び会えたあの日からだったのかもしれない。

「ここは? ずいぶんと不安定な、というかジグザグな山だけれど」

 あの日から始まった僕らの関係性は、自分にとって不思議で特別なものになっていた。彼女も同じだったらいいな、そんな都合のいいことを何度も妄想した。

「ここは、僕の今の感情」
「えっと、どんな? 表情からは筋力の強張りが見られるけど」
「いきなり機械的な特技発揮するのやめて」
 彼女の茶かしも上手くかわせないほどに緊張していたことをよく覚えている。
 すーはーと深く呼吸をする。
「君に、想いを告げようとしている僕の緊張と、不安」
 彼女の細く綺麗な眉がぴくりと動く。この鼓動が伝わりそうで、呼吸が浅くなった。
 真っ直ぐな二つの瞳が僕の心臓をえぐる。その瞳を今この瞬間、僕だけが独り占めをしていることに、喜びを感じてしまう。自分がどうしようもなく彼女に惹かれているのだと改めて確信した。
 もう一度肺に溜まったわずかな酸素を思い切り吐き出す。
「……君のことが、好きです。僕と付き合ってください」
 緊張で固まった身体を無理やりに動かし、僕は手を差し伸べる。ぎこちないそれは、まるで僕の方がアンドロイドのようだった。
「気持ちは、すごく嬉しい。でも、私は人間じゃ」
「わ、わかってる。そんなことは十分わかってる。それでも僕は君が好きなんだ。たとえ周りがなんと言おうとも、僕が君を好きなのは変わらない……!」
 思わず感情が溢れ出して、早口になってしまう。 

アンドロイドの導入が進んでいても、まだこの時はアンドロイドと恋愛をすることの理解を得るのには時間がかかる状況だった。

「僕は周りの目や意見じゃなくて、君の気持ちを知りたいんだ」
精一杯の想いを絞り出す。こんな告白、人生で初めてかもしれない。そう思えるほどに必死だった。
「私の気持ちは……」
下げた頭に静かな声が降る。

 自作のオシロスコープを積み重ねるたび、彼女は感情というものを覚えていった。アンドロイドのくせに、と揶揄する人はいつの間にかいなくなり、彼女は一人の女性として成長していた。
 もう人の気持ちがわからないロボットではない君には、どんな感情が湧いたのだろう。僕はそうして、心を手に入れた彼女をもっと知りたいと思ったのだった。

 額に浮かんだ汗が、床に一つ滲みを作る。

「あなたに人の感情を教えてもらって、知って、初めてアンドロイドでいる価値を見出せた。きっとあなたに出会わなかったら今の私はない、そう思う」

 その言葉は本物だと、これまで紡いできた時間が僕にそう思わせる。

「こんな自分にも、感情が宿るのだとすごく嬉しくなった。これからももっと知っていきたい、あなたと新しい気持ちを」

 澄んだ彼女の声が、少し震えているのが聞こえ僕は勢いよく顔を上げる。

「それってーー」

 目を見開く僕に、彼女は満面の笑みを見せる。その瞳にはきらりと光る滴があったように見えた。


――――――


 心臓を持ったあなたは、いつか私の元を離れていってしまう。その不安があなたに伝わらないように隠す私は、上手くアンドロイドでいられているかな。
 形をなくしてしまうあなたを忘れないために、あなたのくれるもの全てを大切にしていきたい。
「脈がないから、時々不安になるんだ」そう言って私の腕を包むあなたと同じように、私もあなたのたくましい腕を撫でる。

「いつかこの脈が止まってしまうのならーー」

 
 アンドロイドは夢を見る。
 どうかあなたの隣で、同じ鼓動を震わせられますように。


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