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日常が日常であること - 2025年1月後半の日記

2023年9月生まれの娘くんちゃんと、穏やかでちょっとおかしな夫ゴジくん、そしてお腹にやってきた第二子とともに暮らす日々の記録。

2025/01/16
金曜だと思ったらまだ木曜だった。普通にショック。年末年始と先週末の3連休が続いていたから、ずっとゴジくんが家にいるのが当たり前みたいになっていて平日のワンオペがしんどい。明日は土曜だと思って喜んでたのに〜。。
そんなショックから今日は家から一歩も出ず。くんちゃんは体調回復のためかわからないが3時間も昼寝をして、その後はずっと機嫌よく過ごしてくれた。おかげで(?)4〜5日続いていた下痢はすっかり治ったようだ。よかったよかった。
今朝の朝ドラ『おむすび』を夜に観て「自分にできること」がわからないもどかしさ、動き出せない情けなさや申し訳なさに共感していたら、とても悲しい連絡が飛び込んできた。底の浅いありきたりなことばしかかけられない自分が虚しい。もはや共感することすら憚られ、その悲しみを想像することしかできない。想像にだって限度がある。今、わたしにできることってなんなんだろう。

2025/01/17
昨日の悲しいニュースに心を持っていかれた一日だった。当事者の気持ちを考えると思わず涙が出てくる。こんな日はより一層くんちゃんをかわいがり思いきり抱き締めたいのだけど、あいにく彼女のご機嫌があまりよろしくない。泣かれるというより鳴かれる、というより吠えられまくり、さらに気が滅入ったのだった。
なんとかお互いのご機嫌を取るために、一緒におやつを食べる。お腹が治ったくんちゃんにはみかん、わたしはコーヒーとハーゲンダッツのクッキーアンドクリームと抹茶のお菓子1粒。久々に食べるハーゲンダッツ、やはり格別なおいしさだ。ほんのひとときだとしても、夢心地になれた。
くんちゃんはそれでも機嫌が治らない。どうやらお昼寝が足りなかったようだ。もはやご機嫌を伺うのを諦めて、Netflixをつける。『イカゲーム2』は昨日観終えてしまったので、何を観ようかと彷徨い、『天狗の台所』にたどり着いた。全然ストーリーは知らないけれど、『光る君へ』の一条天皇が出ているらしかったからポチリと再生。瑞々しい田舎の景色が美しく、素材を活かしたごはんがおいしそうでたまらない。気づけば3話まで一気見していて、その頃にはくんちゃんの癇癪も落ち着いていた。ほっこりしたストーリーと映像美に心が洗われるよう。続きが気になって仕方がない、というような刺激はないのだけれど、心が荒んだり元気を失ったときにはちょうどいい。そんなときのお守りとして、続きはとっておこうかな。

2025/01/18
友人のお子さんが亡くなり、面会へ。人生で一番つらい日かもしれない。まだ幼い子どもを失うって、どれほどの悲しみだろうか。小さな棺に横たわるお子さんが今にも動き出しそうで、口元は微かに笑みを浮かべていて、やわらかな頬や髪の毛がくんちゃんを彷彿とさせて、涙が止まらなかった。友人夫婦は目を潤ませつつ、それでも笑顔で彼女との思い出を語ってくれた。短い人生ながらもたくさんの人に愛を与え、たっぷりと愛を注がれて、幸せだったに違いない。愛にあふれたやさしい両親によく似たかわいらしい子。次の世界でも、変わらず楽しく笑顔いっぱいに過ごしていてほしい。そしてパパとママ、妹ちゃんを見守っていてね。
どんなにきつくても、食べることだけは疎かにしないと夫婦で決めた、と友人が言っていた。亡くなったお子さんのためにも、残された妹ちゃんのためにも、まずは生きなければ。わたしも、生きる。くんちゃんとお腹の中の子を生かす。ゴジくんにも、大切な友人たちにも生きてもらおう、できるだけ長く。当たり前に流れていくなんでもない日常に感謝を。

2025/01/19
昨日のことを事あるごとに思い出しては胸がギュウとなる。気を抜くと涙が出てくる。もっともっとつらいはずの当事者があれだけ気丈に振る舞っていたというのに、わたしなんかがこんなに悲しがってちゃいけない、と思いつつ、やはりメソメソ引きずってしまうのだった。
それでも日常はやってくる。いつも通りにくんちゃんに起こされ、食事どきには「はよくれ」「もっとくれ」と捲し立てられ、やんやとやっているうちに眠くなり、家族三人(いや、四人)で川の字になってすんやりお昼寝。何にも代え難い、尊い日常だ。
夕方からくんちゃんと二人で実家へ。いつになくご機嫌で、母とたっぷり遊ぶくんちゃん。途中、特に何もしていないのに今まで見たことないくらいに大爆笑していて思わずつられて笑った。5分近く笑っていたのだけど、あれは一体なんだったんだろう。声を上げて思いきり笑うって、なんだかとっても気持ちがいいね。

2025/01/20
昨夜、くんちゃんにとんでもない夜泣きを繰り出され、ボロボロの朝を迎える。日中はあんなに楽しそうにしていたのに、やっぱりおうちに帰りたくなっちゃったのかな。睡眠環境が変わるとストレスだよね。よくわかります。
それでも朝からまた機嫌が復活。わたしが病院へ出かけた後も両親と仲良く遊んだうえに、なんと父に抱っこされて1時間以上お昼寝をしたそうだ。父のことをあんなに毛嫌いしていたのに、なんという進歩。父もデレデレでうれしそう。
今回から分娩予定での妊婦健診が毎週のように始まる。結果は順調、だけど先生に「おー、でかい」と開口一番に驚かれてしまった。2〜3週分大きいらしく、推定2600g超え。え、すでにくんちゃんが産まれたときより重いってこと?(くんちゃんの出生体重は2474g)そりゃお腹が重いわけですわ。巨大児になると難産必至だが、それでも発達のために39週までお腹にいてほしいとか。あと6週間もこのはち切れんばかりの腹を抱えて生きるのは無理があるよ〜! まあ、心の準備も物理的に新生児を迎える準備もまだまだ整っていないのだけど。無痛分娩に向けた麻酔医との面談もあり、いよいよ近づいてきているなあ。そろそろちゃんと準備しないとなあ。

2025/01/21
ゴジくんのシャーペンを手に取りたいくんちゃんをわたしが制したばかりに爆泣き。実家での夜泣きに匹敵するほどの激しさにちょっと圧倒されてしまった。抱っこさえも嫌がり、床に転がって大癇癪を起こす様は、近い将来訪れるであろうイヤイヤ期を見ているようだった。このエネルギー、一体どこから湧いてくるんだ。その後、泣き疲れてわたしの膝の上で2時間ほどお昼寝。わたしも全身を痛めながら一緒に寝た。
夜は久しぶりに仲良しの二人と日付が変わるまでLINE電話をした。なんでもない会話で3時間があっという間に溶けていく。あー、会いたいなあ、会いたいなあ。

2025/01/22
久々にくんちゃんに6時台に起こされた。本人も眠そうなのに二度寝も昼寝も失敗。8時間睡眠は確保したいわたしには大変つらい状況だ。眠気と闘いながらグズグズ状態のくんちゃんのご機嫌取りをしたり、採用面談をしたり。なんだか疲れてしまった。ただ、仕事の方は心配ごとが少し解消されたのでよかったかな。まだまだいろいろ課題はあるけれど。産気づく前に片付けておきたいことが山ほどあるのだ。
ゴミ捨てと買い物に行く道すがら、親切な親子に4箇所ものドアの開閉を手伝ってもらってしまった。4回目ともなるとありがたさに加えて気まずさもあり、「何度もすみません」と思わず謝ると、「ベビーカーだと大変ですよね」ということばが返ってきた。扉を閉めた後は駆け足で去っていく二人。急いでいたんだな。なのに、わざわざ足を止めてわたしたちを助けてくれた。わたしもこういう親切が自然にできるようになりたいものだ。彼女たちのような配慮の行き届いた行動には、心の余裕と想像力が必要だと思う。ほんの一瞬のうちに、助けが必要だと判断したうえで実際に対処する。自分の都合より相手を優先して。簡単なことじゃない。子育てをしていると、そんな親切にたびたび助けられる。わたしも社会にご恩をお返ししていかなければだ。誰かのやさしさが、新たなやさしさを生み出す世界になるといいよね。

2025/01/23
くんちゃんとの時間を大事にしたいのに、うまくできない自分にもやもや。くんちゃんが癇癪を起こす頻度が上がり、それに向き合うのがしんどくなってきた。
彼女が癇癪を起こす原因は、わたしにある。ちゃんと遊びに付き合わないこと、スマホに気を取られがちなこと、家に篭りきりで環境に変わり映えがないこと、、、ああ、ごめんなさい。近頃お腹が重すぎてすべてが億劫で、何かしたいという気持ちはあるのだけど、何がしたいかもわからない。自分の気分転換も兼ねてくんちゃんをお散歩に連れ出したくても、公園まで行くのがどうしてもしんどい。買い物で小1時間歩くのが精一杯だ。言い訳をはじめたらキリがないが、くんちゃんと二人きりで過ごす時間が刻々と終わりに向かっているのは事実。後悔しないためにも、がんばってどこかに遊びに行かねば。

2025/01/24
昨日くんちゃんとの関わり方を反省したのに、昨日とまるで変わらない一日を過ごした。ゴジくんよ、とにかく早く帰ってきておくれ、と願いながらやり過ごす。不機嫌なくんちゃんに責め立てられているような気持ちになって、今日はことさらにしんどかったなあ。寝かしつけ後、ご褒美としてハーゲンダッツのほうじ茶黒蜜を食べたけれど、おいしさを感じられず。おいしいにはおいしいのだけど、おいしさを感じる余裕がなかった。とりあえず、1週間お疲れさま、自分。

2025/01/25
今日は家族三人でゆっくり過ごせる最後の休日。そんな衝撃の事実に気づいたのはつい数日前のことだ。特に何かしたいわけでもなかったけれど、せっかくなので気になるお店でランチをすることにした。素敵な古民家で季節の御膳的なものがいただけるらしく、ネットに掲載されている写真を見てワクワクしながらたどり着くとまさかの予約で満席。古民家の外観の写真だけ撮って、急遽近くのハンバーガー屋さんへ行くことに。当初の予定とは真逆の世界観だが、結果的には大正解だった。分厚くジューシーなお肉にとろけるチーズ、グリルされた玉ねぎ、シャキシャキのレタスとトマトがふわっとしたバンズに挟まった本格的なハンバーガーがめちゃくちゃおいしい! 添えられたポテトとピクルスも最高のジャンキー感。たまにこういう「本物」を食べたくなるのだけど、出会いたくてもなかなか出会えないものだ。産後落ち着いたらまたぜったいに行こう。
その後は道中にたまたま発見した日本庭園へ移動する。こぢんまりとしているものの、隅々まで手入れが行き届いていてとっても雅。お腹の重たい妊婦と歩ければなんでもいい1歳児にはちょうどいい規模感だ。趣ある古民家でゆったりお茶をして(くんちゃんは遅めのお昼ごはんを食べて)、いい時間だったなあ。今回は冬らしい雪吊りやロウバイが見れたけれど、春や夏になったらまた違う景色を楽しめそう。ここにもまた必ず来ると決めた。
今日は思わぬ出会いがたくさんあっていい一日だった。昨日までの鬱々とした感じはすっかり抜けて、ゴジくんとくんちゃんと今日という日を共有できることがただただ幸せ。来週から3月いっぱいまで実家暮らしの予定で、家族バラバラな生活が始まる。さみしいなあ。

2025/01/26
予定していた親戚の集まりが急遽なくなったため、昼過ぎまでゆっくりまったり過ごす。ゴジくんがくんちゃんと遊んでくれるので、それに甘えてソファに座って寛いでいたら、朝ごはんをほとんど消化しないままお昼ごはんの時間に。お昼もしっかり餅入り辛ラーメンを食べて腹パンになり、空腹感が復活せぬまま夜ごはんを迎えた。今日だけで1kgくらい太ったような気がする。
夕方はくんちゃんと二人で実家へ。くんちゃん、到着から就寝まで、なんと一度たりとも泣かなかった、、! この1年4ヶ月、実家を訪れるたびに大泣きしていたのに、ついにこの日が来たか。しかも、わたしではなくあえて両親に抱っこを求めるシーンもしばしば見られ、感慨深いやらちょっぴり切ないやら。これまではトイレに行くだけでも逐一泣いてついてきていた彼女だったが、今日は「トイレ行ってくるね」と伝えると「ハイッ」と元気なお返事をしてそのまま両親と遊び続けていた。なんという成長。驚きのあまりトイレの中で放心状態になってしまった。トイレのドアって、閉めたまま用を足していいものなんだ。。

2025/01/27
くんちゃんを実家に残し、助産師外来へ。助産師外来ってなんぞや。くんちゃんの妊娠出産を含めて小規模なクリニック歴が長かったから、ちゃんとした病院の手厚いフォローにいちいち驚いてしまう。バースプランや産前産後の動きの確認、普段の健診よりもじっくりエコーを見せてもらって終了。妹ちゃん、今日も元気に動きまくっていた。早く会いたいねえ。とはいえ正期産までまだあと3週間もある。それまでに今日助産師さんと話したこと全部忘れそうだ。ていうかすでに忘れ始めている。
実家に戻るとくんちゃんは父の腕の中でお昼寝をしていた。目が覚めてからは、母に抱っこされながらごはんを食べさせてもらっている。その後もずっとご機嫌で、両親に遊びをせがむくんちゃん。完全に懐いている。わたしやゴジくん以外の人間に対しここまで心を開ききり、愛情を求め笑顔を振り撒く彼女を初めて見た。くんちゃんにとっての社会が広がることはとてもうれしいことだけれど、こんなにも早く親離れが始まるとは。やはりほんの少しだけさみしくもある。

2025/01/28
くんちゃんがいつもよりやや遅く起きた気持ちのいい朝。昼前のねんねタイム回避の予感がして、児童館のイベントへ行くことを決意した。引っ越してきたときは週1くらいで参加しようと意気込んでいたのに、結局月1になってしまっている。もっと活用したいと思いつつ、なかなかいろいろなタイミングが合わないのだよね(主にわたしの気力の問題)。日々の行き先の選択肢として存在してくれているだけで十分ありがたいのだけれども。
久々の児童館では新聞紙でわしゃわしゃしたり、おもちゃで遊んだり、1時間ほどゆるーく過ごす。くんちゃんははじめは緊張気味だったものの、徐々に調子を取り戻して控えめに楽しんでいた。帰りのベビーカーでは即爆睡。おかげでわたしは心に余裕を持ってマックのポテトをテイクアウトし、しなしなになる前に食べきることに成功した。マックのポテトのために児童館に行くの、ちょうどいいモチベーションになるしありだな。まあ、次はいつ行けるかわからないが。
いよいよ本格的に身体がしんどい。お腹の重みのしんどさより、腰から脚の付け根までの痛みがひどすぎて動くのがあまりにもつらい。この痛みから一刻も早く解放されたいけれど、今産まれてしまったら何重の意味でもよろしくない。ひたすら耐えるしかないのだね、、

2025/01/29
今日も今日とて、なんでもない一日を過ごす。朝ごはんを食べて、洗濯をして、家の中でなんとなく遊んで、お昼寝をして、お昼ごはんを食べて。買い物に行って、テレビで気を紛らわして、夜ごはんを食べさせて、テレビやスマホでまた気を紛らわしつつゴジくんの帰りを待つ。そしてお風呂に入っておやすみなさい。わたしとくんちゃんのいつもの一日だ。
くんちゃん、まだことば(日本語)はほとんど出ていないのだけど、「ハイッ」の発音や使い方には日々磨きをかけている。大袈裟じゃなく日に100回以上は「ハイッ」していて、わたしやゴジくんもつられて「ハイッ」でコミュニケーションを取ってしまう。せっかくなのでお返事バリエーションを増やすべく、「〇〇(名字)くんちゃーん」「はーい(挙手)」を仕込む。まだ習得はしていないものの、本人も意味合いは理解しているようで、一緒に練習するとニッコニコ。ため息が出るほどかわいい。名前を呼ばれるって、うれしいよね。
重い腰をやっとこさ上げて、すでに家にあるお下がりベビー服のラインナップを確認し、追加で2着新たに購入した。くんちゃんはもう着られないくらい小さくなった服が、下の子にとってはきっとぶかぶかに大きいんだろうな。その姿を見るのが楽しみで仕方がない。

2025/01/30
風もなくぽかぽかとしていいお天気。洗濯物を干しながら、今日は外に出ようと決意した。とはいえ特に用事はない。そこで捻り出したのがミスドだ。期間限定のピエールマルコリーニコラボの商品がいくつか出ているとSNSで見て、うっすら気になっていたのを思い出した。行くぞミスドへ。最寄りのミスドは徒歩で片道20分、ひと山越えないといけないのでなかなかしんどいが、ちょうどいい運動になるだろう。
何もしていなくても足腰がとんでもなく痛いので、よちよち歩きでベビーカーを押し、息も絶え絶えで坂道を登っていく。横断歩道や駐車場前の通りを歩くのが遅くて、なんだか申し訳ない気持ちになる。しかしよくよく考えてみたら急ぐ必要もないのだし、お日さまを浴びながらスローに進む世界を堪能してみるのもたまにはいいかもしれない。わたしの少し前を歩くギャルJKが、わたしと同じくらいのペースで歩いているのを見てそう思った。大人になると、どうしてこうもせかせかしてしまうのか。
ミスドの限定商品をいくつかゲットし、催事スペースに並んでいたバレンタイン向けのチョコや焼き菓子も購入した。自分やゴジくんのためにわざわざ買う気は起きないけれど、今度の日曜から始まる実家生活でいろいろお世話になるので手土産として。ま、結局は自分好みのものを選んだのだけどね。

2025/01/31
やっと1月が終わる。なんだかすごく長く感じた。月初の連休の反動で平日がしんどいし、悲しいできごともあったし、くんちゃんの癇癪の頻度もなかなかだし、お腹が重くて動くのがどんどんきつくなるし。わたしの心はもう2月の出産に向かっているのだ。早く産んじゃいたいぞ〜。
二人目産前最後となるご近所散歩へ。くんちゃん、少し前までは葉っぱと小枝と小石を拾って黙々と遊び続けていたのに、今日はやけにあっさり。歩く方が楽しいようで、わたしの数歩後ろをてちてちてちてちと追いかけてくる。途中、金網(グレーチングというらしい)を怖がって渡れずにグズグズしていてかわいかった。前は何も気にせずその上を歩いていたのだが、急に存在を認識したようだ。マンホールに出会うたびひとつひとつ立ち止まって観察していたし、視野がどんどん広がっているのだね。その後、公園を出ても一向にベビーカーに乗ろうとせず、トータルで1km以上歩き続けた。今度はわたしの背中を追うのではなくベビーカーを左手で掴み、何度足がもつれて転んでも、泣きもせず静かに立ち上がり力強く歩みを進める。なんて強い子なんだ。最終的には人様の家に入りたがって動かなくなったので徒歩は強制終了。泣いて抵抗されたけど、今日のあなたは十分がんばった。また歩きに行こう。

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