デジカメデビュー戦 vs川越探訪(FUJIFILM X-Pro2)
以前都内へ行った記事の中でコッソリとデジカメを買った話をしていた。
今回はそんな新たな愛機と共に小旅行をしてきた。
買ったのはこのFUJIFILM X-Pro2だ。
本当はこれの1つ前のX-Pro1が欲しかったのだが、9年前の機種ということと人気の高さから中古が無くて、仕方なくX-Pro2にした。
しかしこの岐路は僕に大きな利益をもたらした。
このデジカメを選んだ理由は大きく分けて3つある。
綺麗に撮ることよりも記憶に残すことを意識したFUJIFILMが気に入った。
フィルム一眼レフから始めた僕にとっては光学ファインダーがあるのは嬉しい。
なによりフォルムが唯一無二で格好いい!
たぶん3の理由が大きいと思う。フィルムカメラ時代のレンジファインダー型を彷彿とさせるデザインは、現行だとLeicaとFUJIFILMくらいではないだろか。
X-pro1を探していた理由としては予算の都合もあるが、初代のXセンサーの色表現が良いと噂だったのもある。
結果的には先ほど言ったとおりX-Pro2にして良かった。このX-pro2にはX-pro1にはない機能がある。
それはフィルムシミュレーションのクラシッククロームだ。
このフィルムシミュレーションとはFUJIFILMのカメラの強みと言っても良いのだが、このクラシッククロームの色味については後で実際の画像と共に紹介しようと思う。
それに探していたX-Pro1は富士フイルムでの修理期間が今年の6月で終了したため、買い時としてはその前に買ってオーバーオールしてもらうのが最適だったと思う。
X-Pro2はまだ修理してもらえるため、万が一の時のことを考えると安心だ。
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さて、ここから本題に移ろう。
休日に珍しく早起きをして昼過ぎまで暇になってしまった僕は、とある目的地へ向けて準備を始めた。
その目的地とは川越にある『川越氷川神社』だ。
電車を乗り継いで大体1時間半。思っていたよりも近くに小江戸と呼ばれる町はあった。
事前になんとなくの観光マップを頭に入れており、目的地である川越氷川神社はその観光圏内から北側に外れた場所にあるため、バスでそこに向かってから徒歩で南下して観光地を巡ることにした。
バスに揺られること15分くらいだろうか。川越氷川神社はバス停から目と鼻の先にあった。
さて、いよいよデビュー戦初打席。
35mmのレンズを付けてフルサイズ換算54mmの世界を切り取る。
これは気持ち良い。
フィルムカメラとは違った感覚が手に伝わる。
光学ファインダーを覗くまでは同じだが、ピントリングを回さなくてもレリーズボタンを半押しするだけでフォーカスがキッチリ合う。
そして何よりフィルシミュレーションのクラシッククロームが良い。
僕がよく使っているフィルムのFUJIFILM Superia PREMIUMに少し似た雰囲気が出てる気がして、撮っていてフィルムカメラと同じような画が撮れることに凄く気持ち良かった。(富士フイルム的にはSuperiaを意識したものではなく、現行機のX-Pro3に搭載されているクラシックネガがそれにあたる)
青色や緑色の表現とかは特にフィルムらしさを感じる。
フィルムカメラの味を最初に知ってしまった僕にとって、現代のデジタルカメラの多くが担っている綺麗な写真を高画質で撮るという役割は合っていないのだと、この写真を撮って満足した自分の気持ちを通じて感じた。
しかしフィルムカメラと大きく違う部分もある。ここに慣れるのには少し時間が掛かった。
僕は以前の記事で『ファインダーを覗いて切り取れる世界のチャンスは一度きり、二度は絶対ない。』と書いたのだが、デジタルカメラを操る僕の心の中にこの気持ちはなかった。
(実はこの記事の中で『ちなみにもしデジタルカメラを買うならSONY Cyber-Shot RX1RかSONY α7Cです。一度は触ってみたいです。高くて手が届きませんが……』と言っていた通り最初はSONY機で考えていた。)
この神社は縁結び神社として有名で写真のような鯛の形をした『あい鯛みくじ』が頒布されている。
初穂料300円を納めて横に置いてある釣り竿を使っておみくじを自身の運でもって引き寄せるのだ。
僕も1人でやってみた。あ、今回の小旅行はもちろんお一人様だ。
若い成人男性が1人で来て良縁のおみくじを引いている人なんてただの1人も見かけなかったが、この辺は僕自身が持つ異常性なのかエンターテイナー性なのか特に周りの目を気にすることなく引いていた。
これこそ現代の個人主義的な生き方かもしれないなんて調子に乗っていたが、そんな雰囲気に妙に生きやすくなったのか生きづらくなったのか分からなくなってしまった。
個人が個人として生きていく自由を手に入れたしそうした生き方に指を差さない社会を迎えているが、個人としての責任と連帯の欠如は感じやすくなってきている。どんな世の中が自分に合っているのか、これからどんな世の中になっていくのか一抹の不安を感じざるを得ない。
そんなことは置いておいて、本当ならフワちゃんみたいに自撮り棒を上に掲げて動画を撮りながら引きたいくらいだったのだが、流石に神社の中で自撮り棒を使うのはモラルというかマナー的に良くないかなと思って手持ちで写真だけにした。
おみくじの内容は言うとあまり良くないみたいなことを聞いた事があるため詳細は伏せるが、『身近な存在がふとしたきっかけで云々~』と書かれていた。
そんな存在というかもはや交流のある女性は1人しかいないんだけどそんなことあるのかな…なんて思ってしまった。いや、ご神託に対して失礼にあたるかもしれない。
どんなに荊の道であっても自分の道は自分で切り拓くから大丈夫。でもご神託はありがたく受け止めて胸にしまっておこう。
七五三のピークは過ぎていたと思っていたのだが、良いお召し物を着たお子様連れをちらほら見かけた。
地域の方と観光目的で来た方の割合はぱっと見だと3:7くらいだったと思う。それでも多くは30分圏内の方が多いだろう。
小江戸観光目的で着たのだとしたらこの神社ははっきり言って遠く、小江戸周辺にも立派な神社・寺院はたくさんある。
では何故僕が来たのかと言うと端的にストーカー的推し活である。
僕の人生最後のアイドルの推しである日向坂46の渡邉美穂さん(詳しくはこの記事で)がブログで、この川越氷川神社の『あい鯛みくじ』を引いたと書いていた。
川越は一度行ってみたいと思っていたのもあり今回は川越に足を運んだ。
残念ながら彼女と同じ番号のおみくじを引くことはできなかったが、同じように釣り竿を使って引いたんだなとか感じられただけで何となく幸せを感じた。
多くの人の人生に活力と色をもたらすアイドルは素晴らしい。
構図は悪いのだが鳥居がとにかく大きい。近くに写っている人と大きさを比較してみてほしい。
調べてみたところ高さは13mもあり、木製の鳥居としては国内でも類を見ない高さであるとのこと。
(公式に調査されたサイトではないが、ここには日本4位の高さであると書かれている)
氷川神社をあとにして小江戸の中心部である『一番街』へ向かった。
風情ある町並みでこれこそ『小江戸』というのに相応しい趣を感じた。
京都・奈良にはこうした建物は当然のように残っていてお土産屋さんとして機能しているのも珍しくはないのだが、関東圏で歴史ある建造物をこうして保存していこうとしていることに驚いた。
多様な店が我こそはと門戸を開いて商売をしている姿にはどこか懐かしさを感じると共に、どんなものを売っているのか気になってつい入ってしまうような魅力があった。
一番街を一通り見歩いて感じたのは、明確な歩道があるわけではないため人が多いと往来が危なく車も通るのが大変そうであった。
小さいお子様がいらっしゃる方はベビーカーを押して巡るのには少し苦労するかもしれない。
次は小江戸・川越が誇るシンボルである『時の鐘』へ向かった。
ここまで来るといよいよ江戸という感じがするのだが、1枚目の手前にあるのは何とSTARBUCKSである。
ここにまで米国的資本主義の象徴があるのかとうんざりした気持ちになってしまったが、建造物を残している姿勢には感動したため良しとすることにした。
午前6時・正午・午後3時・午後6時の1日4回鳴るらしく、それはこの後に向かうお店でも聞こえたくらい付近一帯に響き渡っていた。
次に少し小腹を満たすために、前日に調べていた場所に向かった。
『川越 椿の蔵』という和雑貨屋さんの奥にひっそりと構えられている『足湯喫茶 椿や』である。
このお店は『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』2巻#12で登場する足湯喫茶の所謂聖地である。
2巻表紙に描かれているcoedoビール。coedo…小江戸……そう、まさしくこの小江戸・川越の地ビールなのである。
ここ『足湯喫茶 椿や』では足湯に浸りながら作中同様、銅製のマグにcoedoビールを注いで呑むことができる。
時間がお昼にしては早かったからか受付に人がいなかったが、和雑貨屋さん『川越 椿の蔵』の店員さんに声を掛けたところ快く引き受けてくださった。
僕は慢性胃炎治療中の身であり禁酒中であるため、エッグタルトと温かい玄米茶を注文した。
(そもそもビールを呑んだことがないし美味しいと感じられなかったら旅の思い出が台無しになってしまう。それに加えて下戸である。)
エッグタルト・玄米茶・足拭きとしての手拭いがセットで1,650円。
席は食事が到着してから30分間。
価格以上の安らぎと体験が得られたと思う。
12時前に入店していたため、ひと通り写真を撮ってから落ち着いてエッグタルトを食べていた頃に、ちょうど時の鐘が鳴り響いていて非常に趣があった。
周りは全て柵で囲われておりちょっとした庭園風にしてあり、紅葉も色付いていて濃密な30分を過ごすことができた。
平日は12時、休日は10時半からとのことで、空いている時間でゆったりと12時の時の鐘が聞ける点において休日に行くのをオススメしたい。
僕以外のお客さんは見事に男女のカップルだけだったが、ここでも持ち前のエンターテイナー性と鋼の強靱なメンタルを発揮した。
リュックから自撮り棒を取り出してスマホで自撮りを沢山撮ったのだった。
noteに載せるかは正直悩んだのだがまぁいっかの精神で目線に濃いめのぼかし入れて載せておく。
これが24歳独身男性の常軌を逸した自撮りであると共に僕が生きた証である。
隣のカップルは物静かにして過ごしていた。折角二人で過ごせる素敵な休日にも関わらず、ちょっとヤバそうな人が隣で本当に申し訳ない。害は全く与えてないないから許してほしい。
なんて変なことを書いたがうっすらと写っている通り、隣のお客さんとはすだれで区切られており湯に浸っている足下から1人であることはバレてるのだが、まさか自撮りをしているだなんて思っていないだろう。
趣ある場所で物静かに景色を見て過ごされている良識ある素敵なお二人だった。
今回の旅の中で一番オススメしたい場所・お店になった。
観光協会の方から怒られてしまうかもしれないが、『氷川神社』『時の鐘』『一番街』を巡るよりも良い体験ができた気がする。
観光地特有の喧騒から隔絶されて静寂した和の空間と、冬の午前中の寒さと長時間歩き回った脚を癒やしてくれる足湯。
また行きたいと思うし色んな人にオススメしたいし一緒に行きたい。
そしてこの空間と共にお酒を呑めたらこの上ない幸せだろうなと。
待っているお客さんもいなかったため時間いっぱいまで楽しんでお店をあとにした。
14~15時頃から予定があったため帰路につこうとしたが、そう言えば事前調査のときに12時から『中市本店』という場所で売られる焼おにぎりが人気だったなと思い出し急いで向かった。
12時15分くらいに着いたのだが既に15人ほど並んでいた。
その後20分ほど並んで買うことができたのだが、そのときには後ろに30人ほど並んでいたためその人気さがよく分かった。
この焼おにぎりは『ねこまんま焼おにぎり』という名前で売られており、この『中市本店』で扱っている本枯節やいわし節をふんだんに使った焼おにぎりである。
中市本店は江戸時代に創業した鰹節などをはじめとした乾物屋さんであり、そのお店が店頭で炭火を使って焼いているおにぎりにお店の本枯節・いわし節を使っているのだから間違いなく美味しいに決まっている。
注文を受けてからおにぎりを焼いて醤油を掛けて鰹節をかけているため、このような行列になってしまっているのだと思う。
提供するからには最大限の美味しさを味わってほしい妥協を許さない姿勢が窺えた。
本枯節は高級であるにも関わらず、一口頬張る毎に口の中の水分が全て持って行かれて危険な状態になるほどまぶされていた。自宅で食べたのだがテーブルが鰹節まみれになってしまった。
今のところ人生で一番美味しい焼おにぎりであり、今後もこのランキングを塗り替えるのは難しいと思う。
川越に行くことがあればまた食べたいと思えるし、行列も苦ではない美味しさを体験できる。
ここからは建造物シリーズをダイジェストでお送りする。
この旅のピークを『足湯喫茶 椿や』で迎えてしまったにも関わらず、帰路で様々な建物を撮っていた。
尻すぼみな記事になってしまうのだが時系列的に紹介せざるを得ないため置いておく。なんて乱雑な記事なのだろう。
この建物は『川越商工会議所』なのだが、調べてみると『旧武州銀行川越支店』と元々銀行の建物であることが分かった。
郵便局も小江戸に合わせて蔵造りになっているのだが、見た感じ後から作ってそうな感じが漂っている。
京都のファミマが黒い的なアレである。いや、それよりは凝っているか。
この建物は『元八十五銀行 本店本館』といい、100年以上前の1918年(大正7年)に建てられたという。先の『川越商工会議所』より先輩にあたる。
ここだけ見ると小江戸というより大正モダンっぽさを感じるのだが、付近一帯には他にも小江戸感よりはもう少し先の大正・明治らしさのある建物があり、建築に詳しい方がいたらより面白い考察ができそうだなと思った。
ちなみにここと時の鐘も『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』2巻#12にチラッと登場しているため一応聖地である。
それと上の写真がネガフィルムらしいフィルムシミュレーションで、下がVelviaと現代のデジタルカメラらしい写りをしていて違いが面白い。
こうして見てみるとVelviaの今時な写りも好きになれそうかもしれない。
家に着いてからヘトヘトになりながらさっきの焼おにぎりを食べて写真の整理をした。
この記事はその翌日たっぷり12時間睡眠から目を覚ましてから書き始めた。
そして書きながらここでひとつ思い出してしまった。
僕が行く前に楽しみに想像していた『小江戸』の町並みを。
僕がテレビで見て行きたいなと思っていた『小江戸』の風景は、小川に沿って蔵造りの建物が残っていて、小川では舟に乗って観光巡りをすることができる。
しかし川越では歩けど川は見当たらない。
そう、僕は大きな勘違いをしていた。
『いつから小江戸が川越1ヶ所だと思っていた?』
僕が思い描いていたのは千葉県佐原市にある『小江戸』だったのだ。
完全に僕の知識不足と事前調査の甘さであると共に、川越の『川』という字に騙されていたのである。
『川』を『越える』と書いて川越なのだから、よく考えればそこに川がないことくらい地名から考えられるのに……
(実際、入間川を越えないとたどり着けない場所であることから「河越」と名付けられた説があるらしい 出典:語源由来辞典)
いつか佐原にも行ってリベンジを果たそうと思うが、千葉の内地は非常に行きにくく遠い。
もっと時間が取れるときに折角だし母と祖父母も連れて行きたいと思った。
ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー ・ ー
最後にデジタルカメラとフィルムカメラのフィーリングの違いを書いておこうと思う。
最初にも書いたがフィルムカメラは二度のチャンスは訪れない瞬間を写す物だと思う。
今回もフィルムカメラは持っていったのだが使える場面は本当に少なかった。
二度のチャンスがないという点において人通りが多い場所では不得意なのである。
ここだと思ってファインダーを覗いてピントリングを回してフォーカスを合わせシャッターを切る瞬間、目の前を人が通っただけでフィルム36枚撮りの1枚が失敗写真になってしまう。
それに人通りが多く歩道も往来するには狭い場所であり、立ち止まって長い時間掛けてシャッターチャンスを待つのはマナー的に好ましいとは言えない。
事実、今回フィルムカメラで撮った枚数はたったの7枚である。デジタルカメラで撮ったのは150枚であることからその少なさが際立つ。
しかしデジタルカメラを持っていなかったとしたら、2倍は撮っているはずだと思う。それでも1本使い切らないかもしれない。
デジタルカメラの良さは何よりオートフォーカス、これに限ると思う。
歩きながら右手でカメラを持ってファインダーを覗いてレリーズボタンを半押ししてシャッターを切るだけで写真が撮れる。
しかしフィルムカメラから入った僕は最初のうち、デジタルカメラでもシャッターを切ることを躊躇してしまっていた。
本当にこの構図で合っているのか。絞り・露出はこれで良いのか。
でもそんな癖はすぐに直った。
とりあえず撮ってみて写真を見てから次の写真に生かしても良い。
これもデジタルカメラが持つ良い部分だと思う。
以前フィルムカメラの記事を書いたときに、フォロワーの方から『シャッターを切ることに自覚的』なのだと仰っていただいたことがある。
デジタルカメラで写真を撮っているとこの感覚は薄れてしまうように感じた。
それが良い・悪いとかではないと思う。
そもそもフィルムカメラとデジタルカメラは同じカメラではありながら全くの別物なのであり、目的も得られる物も使い方も全て異なっているのである。
写真を撮って良い絵/画を作る楽しさと喜びを味わえるのがデジタルカメラ。
写真を撮る行為の過程の楽しさと奥深さを味わえるのがフィルムカメラ。
今のところこの結論が自分の中の感覚に近しいように思える。
今回デジタルカメラで目に見える景色の写真を撮って記憶/記録に残すというのは楽しかったし、それで良い写真が撮れていて人から「よく撮れてるね。きれいだね。」とか言われたら凄く嬉しい。
フィルムカメラでは必ずしも良い写真が撮れているとは限らない。
しかしまだ現像してなくて撮れた写真を見てない今すでに、事実フィルムカメラは楽しいのである。
そうなるとデジタルカメラとは根本的に異なる。
デジタルカメラで写真を見ていないのに楽しいとは絶対にならない。スマホのカメラで撮るのも同様だと思う。
この2つを比較して短所を列挙するのはなにか間違っている気がする。
そしたら「カメラを始めようと思うんだけど」と友人から相談されたとき、僕はどちらを勧めるのだろうかと考えてみた。
しかしその結論はその友人と20分ほど話し合ってみないと出てこないかもしれない。
どちらの方がその人の楽しみ方に合うかはその人の価値観に左右されると思う。
僕はCONTAX Ariaからカメラを始められて良かったと思うし、2台目としてFUJIFILM X-pro2に出会えて本当に良かった。
僕が大事にしている価値観とか性格からして、これがもし逆だったとしたら今のようにカメラにハマっていることはないと思う。
最後になってしまうが、フィルムカメラには50mm単焦点、デジタルカメラには35mm単焦点(フルサイズ換算54mm)が付いているのだが、やはり広角単焦点レンズが欲しくなってしまっている。
これが世に言うレンズ沼なのである。
しかし、写真技術がまだまだ赤ちゃんレベルな僕に広角レンズが扱えるとは思えない。
広角になると情報量が格段に増えてしまうため、その写真で主題として見せたいものが散らばってしまい構図がより難しくなると思う。
もう少し50mmで修行してから目の前の沼に立ち向かおうと思う。
いまはまだハイハイで片手浸っている状態で経験値を積んでいく。
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