見出し画像

本当の価値は隠蔽される?

科学史家の隠岐さや香さんが、今日(2022-5-26)の朝日新聞で「水とダイヤモンド」というコラムを書いていた。
「この世で大事なものはいつも本当の価値を隠蔽され、買い叩かれ、余分なものばかりにばかり高い値段をつけるよう仕向けられているとしたら」という問題提起である。
それは、経済学で言う「水とダイヤモンドのパラドックス」が象徴する問題らしい。
水は生存に不可欠だが、低価格である。ダイヤモンドは希少性はあるが、不可欠とは殆んど言えないにもかかわらず極めて高価だ。
世の中、本当はそういうものが多いのではないかというのである。
家事、育児、介護等はしばしば「愛のもとに」無償で行われ、職業になっても賃金が高いとは言えないと、隠岐さんは指摘する。
確かに毎日の不可欠な家庭料理でなく、たまに行く高級レストランにわれわれは高い料金を支払う。天井桟敷のない海外オペラに数万円も払う。オークションで美術作品に億の値をつける。
「生存に関係ない対象だから高値がつくのを社会が許す面もあるのではないか」。いや、まさにそうである。私から見れば、多くの文化装置というものがそのためのものかもしれないと思うのだ。そんな疑いすら抱かせる。そうした文化装置によって世の中が成り立っているような面もある。田舎にはなくて大都会だけにあるようなものの多くがそうかもしれない。
しかし、それで生活を成り立たせている人もいるのは事実だ。世の中、エッセンシャル・ワーカーだけでなく、既に出来上がっている社会システム、価値システムの中で生きている人も多い。株取引や投資で莫大な利潤を得ている人もいる。ある芸術がなくても生きていけるが、それがないと生きていけないと明言している人たちがいることも知っている。芸術を創造する人たちだけでなく、それを享受する人たちにもいる。

ところで、YouTubeでのある発信者が、「タダほど高いものはない」と言うのを聞いた。それは、タダほど後で高い代償を払わなければならないという意味でなかった。
「あなたの吸っている空気、いくらしましたか。あなたの目、あなたの耳、いくらしましたか。みんなタダですよね」と言うのである。
自分たちの命、それはタダでもらったものだ。まさしくタダほど高価なものはない。本当にタダほど本来、貴重なものはないはずだ。
だが、それらの価値が隠蔽されたとしたら、どうなる。どんな恐ろしい時代が来るだろう。
あなたの愛する人たちのためにとか、お国のために、あなたの命を捧げよとの召集令状が届いた日もあったのだ。それは、残念ながら、わが国だけの、古い時代のことだけではないようだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?