r_fun75

明治以後の日本洋画や、19世紀以後の西洋絵画を主に研究しています。

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マガジン

  • 呟きとメモ

    自分のつぶやきや、新聞などで見かけた様々な分野の人たちの興味深い言葉を収録しています。

  • 美術ノート

    美術関連の記事を収録しています。展覧会の感想や案内はありません。 かつて美術館の冊子に自分が書いたことや、最近になって分かったことも紹介します。(執筆者 舟木力英)

  • 中村彝ノート

    やや専門的な中村彝研究を手短かに紹介します。従来の自他の研究への言及、訂正などもあります。彝研究のための新たな視点を探っていきます。(執筆者 舟木力英)

最近の記事

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美術品の真贋

 「美術品の真贋こぼれ話」という演題ですが、実は、公立の美術館では誰も喜んで真贋について判断したくないようであります。  なんとなれば、やはり責任と金銭にかかわる問題があるからです。もし真贋の判断を間違った場合、その責任は学芸員個人の責任にとどまらず、もっと上の方まで、公立なら学芸課長とか、美術館長とかまで行ってしまう恐れもあるでしょう。  公立だからタダで鑑定して、それで間違ったら、責任を取らされる、それでは堪ったもんではありません。  しかし、鑑定に持ち込んできた人も、

    • 花泥棒

       色とりどりの野菊があちこちで咲くようになった。  散歩をしていると、季節の花に自然に眼が向くようになり、散歩の楽しみとなる。  しかし今日は、近頃高くなってしまった米が近所のスーパーで安く買える日だから、自転車で売り切れないうちに早く買ってくるよう家人に言われてしまった。  安売りの目玉商品を1点だけ買うのは何だか店に気の毒でもあり、自分も恥ずかしいが、背に腹は代えられないから言われる通りにした。  途中、ある家のこじんまりとした庭に半紙大の紙が掲示され、何かが書いてあるの

      • グリーン系の菊

        • 公衆浴場さくら湯(熊本県山鹿市)の写真を見た。 読売新聞2024-3-24の「よみほっと」に載ったもの。 いつか行ってみたい室内空間だった。

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        美術品の真贋

        • グリーン系の菊

        • 公衆浴場さくら湯(熊本県山鹿市)の写真を見た。 読売新聞2024-3-24の「よみほっと」に載ったもの。 いつか行ってみたい室内空間だった。

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        記事

          「行動によって良いことが生じるか、嫌なことが消えると、その行動が増えていく。」 「行動分析学では、行動直後に起こる結果が、その行動を増やしたり、減らしたりする原因になっていると、考えます。」 応用行動分析学者、奥田健次さんの言葉。 2024-8-24朝日新聞、フロントランナーより

          「行動によって良いことが生じるか、嫌なことが消えると、その行動が増えていく。」 「行動分析学では、行動直後に起こる結果が、その行動を増やしたり、減らしたりする原因になっていると、考えます。」 応用行動分析学者、奥田健次さんの言葉。 2024-8-24朝日新聞、フロントランナーより

          今日は79回目の終戦の日。 しかし、実際には、この日を過ぎても、北方で、南方で戦争のため殺された人、死んでいった人がいる。  ひとたび戦争となったら、ほとんどの人は国家にはもちろん、周辺の人々にさえ逆らえない。 誰のため、何のために戦争をする。 戦争を恥じない人が今もいる。

          今日は79回目の終戦の日。 しかし、実際には、この日を過ぎても、北方で、南方で戦争のため殺された人、死んでいった人がいる。  ひとたび戦争となったら、ほとんどの人は国家にはもちろん、周辺の人々にさえ逆らえない。 誰のため、何のために戦争をする。 戦争を恥じない人が今もいる。

          岸田さん、次期総裁選には出ない。 今の日本、あまりにも多くの課題、難題をかかえて倒れそう。 加えて、自然災害も多く、地球環境全体も悲鳴をあげている。 ヒトは、公然と過酷な戦争に突入して恥じない。 だけど、辞める理由は単に自民党のためだけか。

          岸田さん、次期総裁選には出ない。 今の日本、あまりにも多くの課題、難題をかかえて倒れそう。 加えて、自然災害も多く、地球環境全体も悲鳴をあげている。 ヒトは、公然と過酷な戦争に突入して恥じない。 だけど、辞める理由は単に自民党のためだけか。

          パリ五輪、開会式

           X上で『黙示録』の蒼ざめた馬だ、いや、ジャンヌ・ダルクだ、「最後の晩餐」だ、いや「神々の饗宴」だとの言説が賑わう。  だが、敢えて人々に誤解と刺激を与えそうなハデハデの演出であることは確か。  ただ、突っ込まれた場合には、それなりの釈明ができるよう図像学的な予防線だけは張っているらしい。 **  パリ五輪、開会式をXで流し見した。美術史的な作品などからの引用が随所にあったようだが、どれもこれも…。  何度かパリに行っただけだが、ふだんのパリの方が私にははるかに、は

          パリ五輪、開会式

          呟きとメモ2024-7-25まで

          トランプ氏銃撃後の三角形構図の写真、AP通信の エバン・ブッチ という人が撮ったのか。 トランプ支持者であろうと、なかろうと、写真としては、見事と言うほかはないだろう。 ** 今日の朝日2024-7-22に指揮者 山田和樹 の衝撃という記事に佐治薫子とジュニアオーケストラのことが書かれていたのを読む。 ** トランプ 銃撃後の写真 拳を突き上げて三角形構図を作る絵画や写真の例は、他にもあるだろう。 エバン・ブッチ 氏の写真は、自動連続シャッター写真の一枚かどうか

          呟きとメモ2024-7-25まで

          呟きとメモ 2024-7-22まで

          英保守党大敗、イラン改革派勝利、世界史は流動的に見えるが、日本はなかなか変わらない。 都知事選はどうかな。 ** 小池氏当選は、やはり変わらなかったかという感想だが、石丸165万票は、確かに驚きだった。 しかし、その後、石丸氏とマスコミとの言葉のすれ違いを氏が平然とやってのける姿を見た。 あのような言葉のやり取りは意図的なものなのか、生まれながらのものなのか。 165万票のことを考えると、何だかそら恐ろしい。 ** 鈴木涼美 さんの朝日新聞への寄稿(2024-7-

          呟きとメモ 2024-7-22まで

          呟きとメモ 2024-7-9まで

          「人生の意味を言葉で受け取って、解決策にしようとは、少し虫がよすぎますね。…自分で見出すべきものです。…その人だけのもので、他人が入れ替わることができない、まさに特別なものだからです。」(藤原智美)、今日2024-5-27の読売、人生案内より ** クチナシの花がまだ芳香を放っている。春はジンチョウゲ、秋はキンモクセイ。それで散歩コースが決まる。それから、梅の香りも。 ** 英保守党大敗、イラン改革派勝利、世界史は流動的に見えるが、日本はなかなか変わらない。 都知事

          呟きとメモ 2024-7-9まで

          菅原洋一の「今日でお別れ」

          * 菅原洋一、90歳、「今日でお別れ」聴いた。超絶、素晴らしかった。 これは歌謡曲でなく、歌曲だ。 * 菅原洋一、90歳、「今日でお別れ」、偶然聴いた。一つ一つのフレーズを大切に大切に温め、これ以上ないくらい磨きに磨き上げた歌唱に感服し、満足した。若いときの歌は、大賞など貰ってもいわゆる「歌謡曲」だったが、90歳であれからこのように進化し、歌えるとは心底驚いた。 氏の若いときの歌は、どうにも感傷的過ぎて、歌詞もメロディーも自分の趣味に合うものではなかった。 ところが当夜

          菅原洋一の「今日でお別れ」

          白秋『硝子切るひと』

           2024-6-20の長谷川櫂の「四季」(読売記事)に白秋の詩が紹介されていた。印象に残ったので書いておく。 「茴香酒(アブサン)のごときひとすぢ つと引きつ、切りつ、忘れつ。」  そう言えば子どものころ、ガラスを切る職人を見たことがあったな。ガラスを切るように忘れたい何かはあるのだろうな。

          白秋『硝子切るひと』

          中村彝のヒステリー分析

           彝の画室に奉公していたバアヤについて、知友・小熊虎之助の影響があるのかもしれないが、その「ヒステリー的カンシャク」の「原因」を語った書簡(大正8年6月18日)がある。  ちなみにこのバアヤは、気性が激しく彝としばしば衝突して神田に帰ってしまう岡崎きいと見る説もあるが、私はそうは取らない。彝は彼女をバアヤとは基本的に呼ばず、例外はあるかもしれないが、いつもオバサンなどと書簡では書いていた。しかも同じ書簡でバアヤとオバサンとは区別しているのである。  さて、彝の茨城県平磯行は

          中村彝のヒステリー分析

          中村彝の「洲崎義郎の肖像」、左手の描写

           標記の作について、私はかつてレンブラントの「ヤン・シックスの肖像」との関連を指摘したことがある。  何れも画家の友人を描いた作品であり(モデルが二人とも市長になったのは、偶然の一致だろうが)、モデルの白い襟元、外套を肩に掛けて、片手だけ手袋をしている表現が、これらの作品に共通しているというのが、注目されたからだ。(※西洋の肖像画において片手だけ手袋をしている表現は、探そうと思えば、いくつかの例を探し出せるが、当時、彝が持っていた画集やカタログ・レゾネなどからは、レンブラント

          中村彝の「洲崎義郎の肖像」、左手の描写

          中村彝の孤独 「一人障子にうつる陰」

           大正9年2月25日の彝の書簡の末尾にきわめて印象深い孤独の表現があるので忘れないようにここに書き留めて置こう。  友人であり彼の芸術支援者である洲崎義郎に向って言う。

          中村彝の孤独 「一人障子にうつる陰」