辞典にも年譜にも間違いはある
本を読んだり、自分でも文章を書いたりするのが好きな皆さん、今まで何々辞典(事典)などで、間違った記述を発見したことがありますか。
私の見つけた例は、こういうのがあります。
それはある人物の生没年に関してです。しかも、それはある「大辞典」一冊のみならず、他の出版社の「大事典」でも同じ人物の項目の生没年が間違っていたのです。いや、3冊目の「大辞典」、4冊目の「物故者事典」でも同じように間違っていました。
4冊もの本に同じ生没年が書かれていたのですから、それは間違っているのはお前の方で、生没年など、基本的なことが間違えられるハズはないと思う人もいるかもしれません。
私自身も一時は、自分自身を疑ってしまいました。
だが、それらは明らかに間違っていたのです。
なぜなら、私は、ある画家がその人物にお金を無心する手紙を読んだのですが、もし、それらの「大辞典」通りとするなら、20代の人物が10代半ばのその人物から大金を貰うか借りることになってしまうからです。
自分より若い人物にお金を無心することは、あり得ないことではありませんが、10代半ばの人物にというのは、あまりに不自然でしょう。
しかもその無心された人物は、「大辞典」通りとするなら70歳ほどで死んでしまうことになるのですが、実際には喜寿の年齢に書いたある「書付」も残されているのです。
これは、70歳ほどで亡くなったはずの大辞典などの生没年の記述と矛盾します。
その「書付」が偽物だったり、私の読み方が間違っているとも言えなくはないですが、少なくとも日付のはっきりしている先の手紙には、間違いはありません。
以上のようなことから私はこう思います。
先の四冊の大辞典などは、おそらく早い時期に出版されたものを、後から出た本が丸写しでない程度に踏襲したからでしょう。それを裏付けるかのように、私の知りたかった彼の本名はどの辞典にも記載がありませんでした。そして同じ生年を記述して、同じ間違いをしているのです。
このような間違いを踏襲することは、歴史年表や年譜の類にもあります。
私がその誤りを論文等で指摘しても、相変わらず、誤った記述を含む年譜全体を書き写している例があります。
せめて誤っている部分は訂正して、他の人が作成した年譜を借りるべきだと思うのですが、年譜の借用者は面倒なのか、そのまま丸写しをしています。
こうした年譜があることも実証的に何かを研究する人は知っておくべきでしょう。
最後に書いておきますが、もとより著作の少ないその人ですが、彼が著した稀覯本があり、その奥付に、彼が実は大辞典などの記述にある生年よりも10年早く生まれていたことが記されていました。
これがミスプリントでないことは、彼宛のある画家による無心の手紙があることによって、整合性が保たれていることから、明らかです。
すなわち、彼が大辞典にある記述より10年早く生まれていれば、その画家が彼に無心することは、ほぼ同年齢の世代となりますから、不自然ではなくなるのです。