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花泥棒

 色とりどりの野菊があちこちで咲くようになった。
 散歩をしていると、季節の花に自然に眼が向くようになり、散歩の楽しみとなる。
 しかし今日は、近頃高くなってしまった米が近所のスーパーで安く買える日だから、自転車で売り切れないうちに早く買ってくるよう家人に言われてしまった。
 安売りの目玉商品を1点だけ買うのは何だか店に気の毒でもあり、自分も恥ずかしいが、背に腹は代えられないから言われる通りにした。
 途中、ある家のこじんまりとした庭に半紙大の紙が掲示され、何かが書いてあるのをちらっと見て通り過ぎた。

 スーパーの前にはもう何人かの人が並んでおり、自分もその一人に加わると不思議に恥ずかしさも消えていった。店の人になんだ一つだけ買って帰るのかと思われる、と思ったが、思いがけなく明るく大きな声でこうに言われ、自分の気持ちも明るくなった。

 「いつもありがとうございまーす」

 スーパーで目玉の米を買って帰る途中、自転車を降りて先程の庭に掲示されていた紙を読んでみた。

 《今年もグリーン系の菊が咲きました。どうぞご自由にとってお楽しみください。裏側には黄色い菊もあります。鋏も用意しました》

 緑の中に緑なので直ぐには気付かなかったが、確かに緑色の菊の花が咲いていた。

 するとちょうどその家の人が軽自動車でどこかに出けようとしていたが、わざわざドアを開けて嬉しそうに降りてきた。

 「どうぞどうぞお持ちください」
 「本当にいいんですか。グリーンの菊って珍しいですね。初めて見ました」
 「はじめは鉢植えで買ってきたのが、毎年こんなになったんです」
「そうですか。じゃあ」と言って遠慮がちに1本とった後、後ろ髪引かれながら帰ろうとしたら、
「どうぞ、つぼみのあるところも取っていってください」
「そうですか。すみません。どうも」

「早起きは三文の得」
自分はそう繰り返しながら、「なにそれ?」と言う家人に渡した。すると「もう1本あれば、花瓶に挿せたのに」
「ああ、実はもう1本欲しかったんだが、これでも十分きれいだよ。かえってこの方がいい。緑色の菊って珍しいんだから、少ないほうが目立っていい」

 次の日の朝、色とりどりの野菊が匂い咲き誇る住宅地や小径を散歩していると、花泥棒という言葉が頭の中に浮かんできた。
 「花泥棒」という言葉があることは、中学1年生のころ、世の中で最も美しい亡き母から教わった。
 「花はきれいだから、きれいと思ったら泥棒してもいいんだよ。でも本当に盗んだらただの泥棒だから駄目」
 何だかか意味がよく解らなかった。
(いったいどっちなんだよ。盗んでいいの、花の場合は、そう思ったらー)

 答えは今になって、「グリーン系の菊の花」の存在について張り紙をした人が教えてくれたような気がした。


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