私は「ありがとう」で子育てをする。 #未来のためにできること。
電車に乗ってお出かけをした帰り道、3才9ヶ月の息子がこんなことを言った。「電車、ありがとうだね。ゴミ収集車、ありがとうだね。自転車、ありがとうだね。」彼は、見かけたもの全てに「ありがとう」と伝えていた。
息子はASD(自閉スペクトラム症)と診断されている。言葉の発達が遅く、2語文を話し出したのが3才を過ぎてから。喋りはじめたばかりの息子から溢れ出た「ありがとう」だからこそ、特に私の心に残った。そして、私は自分の子育てを振り返った。
私がまだ結婚も考えていなかった頃『幸せになる勇気』という本を読んだことがある。そこに書かれていた「叱るのも褒めるのも良くない」「子供を子供扱いせず、対等に人として接することが重要」という部分に、子どもの立場として共感したのを覚えていた。
褒めたり叱ったりすると「褒められる」を求め続けることになる。一方「ありがとう」や「嬉しい」と伝えると、相手を喜ばせる行動を自発的にとれるようになる、という考えだった。
それから5年ほど経って息子を出産。「子どもと対等な関係を築く」という点を意識しながら子育てをしてきた。
でも、いざ親になると「叱らない。褒めない。」なんて無理だ。祖母の形見として大切にしてきた置物を割られたら、叱らずにはいられなかった。逆に、ちょっとでも成長を感じられれば褒めたくなる。
ただし「褒める」を「感謝」に置き換えられる時には「感謝」するように意識をし続けた。例えば、息子が待っていてくれた時は「待てたね!すごいね!」ではなく「待っていてくれて、ありがとう」と伝える。ゴミ収集車を見かけた時は「ゴミ収集車だね。街をきれいにしてくれるんだよ。ありがとうだね。」と声かけした。
ASDの特性を持つ息子は、そんな声かけを無視することも多い。けれど、めげずにできる限り続けた習慣だ。
そんな息子は、優しい子に育っている。私が体調不良でぐったりしていれば、毛布を持ってきて、私にかけてくれる。私が咳をすれば「大丈夫?」と聞いてくれる。それは息子が持って生まれた優しさからで、私が「感謝」を大切にしてきたからこうなった、というわけではないかもしれない。
それでも、障害があっても自立して、社会で活躍できますように。相手を喜ばせることを幸せに感じる大人に育ちますように。そんな願いを込めて、私は今日も息子に「ありがとう」を伝える。