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宝くじ当たらんかな。

母が宝くじを買い続けて、40年以上経つ。「そろそろわたしの番だと思うんだけどね」と言う。大金が当たったことはない。「何十年買っても当たらんし、もう買わなくてもよくない?」と言ったら「買わんと当たらんもんね」と母は笑った。

わたしは社会人になって、薄給に喘いではいたが、仕事仲間とよく飲みに行った。「あー、宝くじ当たらんかな」「宝くじ当たったらどうする?」という話題が出た。

まだ20代のわたしは、当時の「仕事」がやりたいことの筆頭だった。だからそのお金で仕事がやりやすい環境を整え、会社を作る、と言った。なぜだかまったく根拠のない自信があったのだ。若気の至りだ。

女性の友だちは、「世界中を旅行したい。世界を旅して、運命の人と出会ったりして…ハーフの子どもって可愛いよね」と、うっとりした顔で言った。なるほどね。留学もいいな。

男性の友だちは、「そりゃ、そんなお金があるなら会社をすぐやめるさ」と言った。彼は当時から将来有望なコピーライターで、これから大きな仕事をバンバンやりそうなポジションにいた。わたしにとっては、羨ましい才能と環境を持った人だった。「えー!仕事やめるの?」と聞いたら「え。だって、働かなくてもお金あるんやろ?そしたらオネエちゃんと南の島でのんびり遊んで暮らすわ」と真顔で言った。

その答えに、目からウロコが落ちた。そうか。仕事がすべてじゃない。今思えば、わたしの頭は昔から固かったのだ。「こうしなければならない」と思い込んでいた。「働くこと」「仕事をすること」が、自分を保つための方法だと信じきっていた。「そうじゃない人生」もあるのだと考えることは悪くない。

「じゃあみんなで年末ジャンボを買って、当たったら山分けしよう」という話になった。実際に買いに行き、連番で買ったか、バラで買ったのかは忘れてしまったが、いずれにせよ山分けするお金は手に入らなかった。

さて、今宝くじが当たったらどうしようか、と考える。

この辺にはパン屋さんがないから、お店を出すかな…とか、かわいいものを買い集めて、家の中のあちこちに飾るかな…それならもうちょっと片付けないとな…と考えたところで、自分で自分がおかしくなった。「今の生活」をベースにしか考えることができない。「億」のお金が手に入るのだ。家を買うこともできるだろうし、まったく違う地域に住むこともできる。もっと言うなら、それを元手に資産運用して、働かなくても困らないお金の生み出し方だってあるはずだ。

ちなみに、オットに「宝くじが当たったらどうする?」と言ったら「いくら?」と聞き返された。至極真っ当な質問を受けて、面食らった。わたしはそんなこと考えたこともなかった。ただぼんやりと、お金持ちになったら、くらいのイメージだったのだ。「1億かな?」と言ってみた。「そうだなあ。車を買い換えたら、あっという間になくなってしまうだろうなあ。でも、フェラーリじゃなくて、●×△☆にすれば、ここの家賃を払いながら、残りを細々使って70歳くらいまでなんとかなるかな。」と、電卓で計算を始めた。この現実味の差よ。そして、ここで生活をすることをベースにするという、まったく同レベルの発想の情けなさよ。

宝くじが当たったら、どうします?


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りかよん
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