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ふてほどに思う宮藤官九郎脚本の小ネタのこと

御存知の方が多いと思いますが、去年話題になった『不適切にもほどがある!』は宮藤官九郎さん(以下クドカン)脚本のドラマです。

私はとてもこのドラマが好きだった。タイムスリップSFという設定を活かしつつ、昭和と令和の常識の違いを笑いながら問題提起をしていくというスタイル。再放送まで観ちゃったよ。CreepyNutsが演奏するシーンなんて10回くらい泣きながら。

でも正直なところ。

ドラマのお作法としては、ある世代・ある文化圏の人にだけウケる小ネタを挟みすぎじゃないですか? 『あまちゃん』(これもクドカン)もそうだった。最近の若人はPL学園とか板東英二とか知らないっちゅーねん! 年長者の私は知ってたから笑わせていただきましたけど。知らない人は気づかないレベルの頻度でやった方がエレガントでは?
比較するのは良くないかもしれないけど、やはり去年のTVドラマ『海に眠るダイヤモンド』。これはもうホント、王道って感じでよくできてる。私も好きだし名作だと思います。昭和時代も出てくるけど、小ネタ繰り出しはやってない。そういう意味では上品でストイック。

もちろん『不適切にもほどがある!』も小ネタ連打だけでは内輪ウケで終わってしまうところですが、エモーショナルなストーリー切り込んだテーマがあるからちゃんと笑って泣ける感動的なドラマになってるわけです。
…わけですが、何かダマされたような気にもなってしまうのは何故。


時代限定や地域限定あるある小ネタは諸刃の剣。

そもそもそれは懐かしさという感情を揺さぶるものだし、例えば昭和時代を背景にした話だったら昭和小ネタを投入することによって、必然的に感情移入度がアップするよね。そこはちょっと卑怯かな。ダマされたのか? と思ってしまう所以。
しかもこのエモさを揺さぶる手法というのは、ドラマに限らずかなり危険なものだと個人的には認識しています。政治がらみの局面とか。

でも、でも。世代の記憶や地方の記憶はこまごましたガラクタのようでも大切な宝物。

『終りに見た街』(山田太一原作・クドカン脚本)で三田佳子が「パーマネントはやめましょう」を歌うシーンがあったんだけど、もちろんリアルタイムでは知らない歌だけど、原作にもあるのかもしれないけど(未見)、ほとんどの人が知らないはずの歌だったけど、衝撃を受けました。

その歌は祖母や老母が唄っていた歌だったから。祖母に戦時中の話を聞いた記憶が甦ってきた。誠実に小さなニュアンスや小ネタを入れるってことは、視聴率や完成度がどうのこうのっていうドラマの枠を超えている。

なんかよくわかんないモヤモヤした一般庶民の小さな記憶の遺伝子をバラまいてるんだよな。たぶん。

そういえば去年の『新宿野戦病院』も良かったなあ。またこれからもクドカン脚本にダマされてあげてもいいかな。と、なぜか上から目線で終わり。

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