選択という苦行

買い物は楽しい。たくさんのバリエーションから選ぶのは楽しい。

花屋の店頭
例えば花を買う

と、無条件に思っていないか?
選択肢がたくさんあることはよいこと、なのか?
選択肢が無いのはそれはそれでつらい。社会課題といわれているものはそういうのが多いと感じている。職業選択とか、住む場所の選択とか、姓の選択とか。
でもありすぎても辛い。

壁紙のサンプルの冊子

この厚さの冊子から壁紙を選べと言われても…。
自宅リフォームのときのことである。まず、このA5ほどの大きさのサンプルが壁一面に広がったときの感じが想像つかない。そして、一般住宅の壁紙だけあって、突飛なものは少なく、性能の差も限られた範囲で、似たような質感の似たような模様の果てしないバリエーションなのである。
「壁紙」なので、選んだ結果は長期間日常的に目にすることになる。自分の生活にとって重大な決断である。今まで気にもとめなかったリフォーム前の我が家の壁紙を眺めてみると、インテリア・コーディネーターの偉大さが身にしみる(建売集合住宅なのでコーディネーターがいたはず)。もう、今と同じでいいと思ったが、これだけバリエーションがあるのに「今と同じ」ものがない…。
デザインセンスのない自分には無理、インテリア・コーディネーター召喚!
…したかったけど、「選べ」と言われてから決めるまでの期間も短く、仕方無しに自分で選んだ。ふぅ。

ということで、私の答えは「得意分野の買い物は迷うのも楽しい。不得意分野は苦しい」である。

冊子という限定された範囲から選ぶならまだ選びようがある。一番困ったのは「平服でどうぞ」という友達の結婚パーティーである。
平服とは”お出かけ用のおしゃれ着”と解釈した。
普段着がTシャツ、通勤着がユニクロの私は”おしゃれ着”を所持していない。どの程度おしゃれならいいのかがわからない。どんな服が自分に合うのかもわからない。そもそもどこで買ったらいいのかもわからない。そして、服を売っている店はここかしこに大量にあるのだ。なんでこんなにたくさんあるのだ? 服屋のバリエーションも1店舗の中のバリエーションも膨大だ。なのに、見ても見ても「これだ」と思うものがない。自分が何を求めているかわからない状態で見ても答えは得られないということか。
このときは1ヶ月くらい苦悶の挙げ句、百貨店で柄物のブラウスを買った。その買い物は満足とは程遠く、苦行の打ち止めでしかなかった。
”おしゃれ”とか”インテリア”とか、興味のない分野の選択は、ドメイン知識がなさすぎて、ものすごく辛い。見当つかないし、調べるのも辛い。もうそれこそ五里霧中で方向感覚がつかめない感じである。

反対に、興味のある分野の選択は楽しい。オーディオ製品を物色したり、古生物の本を探したりするのは楽しい。選択肢が多いとワクワクする。「あ、こんなものもあるんだ!」という発見が楽しいし、自分の中にある程度の基準があるので「これは自分向きかも」というセンサーが働く。荒野に放り出されても太陽の位置で方角とおよその時刻がわかるといった感じだ。

世の中にはファッションに強い人もいれば疎い人もいる。
機械に強い人もいれば疎い人もいる。

苦手分野は選択肢が無いほうがいいのか、というとそうでもない。
「これしかない」と言われたら、そこの店で買うのはやめると思うし、本当に選択の余地がなければ、余地ができるまで先延ばしするかもしれない。最善のものを選びたいという気持ちはあるわけだ。
先のリフォームでも床材は「表面が平らで柄は今と同じ感じ」という基準が持てて、その中での選択肢が少なめで悩む時間は短かった。

コーディネートは苦手だけど、選択がそこそこ楽しかったのがTOTOのショールームにあった浴室のミニチュアだ。

TOTOの浴室シミュレーション・キット

ショールームには実物大のセットがいくつかあるが、すべてのバリエーションが設置されているわけではない。印刷されたカタログやウェブサイトを見ただけだと質感がわからない。
そこでミニチュアの出番だ。ミニチュアは浴室の壁・床・浴槽の部材の組み合わせが見れる小さなキットである。浴槽の色の選択肢は少ないが、壁はかなり多い。このミニチュアでかなり雰囲気を掴むことができたし、組み立てて眺めるのはそこそこ楽しかった。
これはおそらく「選ぶ時に何が知りたいか」というノウハウを形にしたものではないかと思う。

壁紙の例も服の例も、私の場合は自分が利用する場面を「思い描けない」という問題があった。「思い描ける工夫」をすると選択の苦行が苦行でなくなるものもあるかもしれない。


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