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50過ぎてウエデイングプランナーになりました。(その2)
さて、明日はいよいよTSUTAYAのオーデイション対策講座。
いても立ってもいられない気持ちです。ソワソワしていて、早く寝ないとと思いつつ、多分これにするだろう原稿をこれからもアップします。
ちなみに明日持っていくプロフィール(A42枚)はすでに用意。オーディションに受かることも大切だと思いつつ、エントリーする勇気があったことに自分を褒めてみますか(本当久しぶりです)
さて、表題のお話し。先日は、思い立った時がすでに40代後半だったとお伝えしました。とにかく遅いのが私なのです。一番の理由で有る「縁の下の力持ちについて」作成してみます。
縁の下の力持ちになりたいと思った
司会者の仕事は、気がつけば20年経っていました。
私は教えてくれる人に恵まれなかった人間で、司会事務所に入ってもほぼ放置状態でした。普通なら事務所主催のレッスンや勉強会があるはずなのですが、なぜか誘われなかったのです。
あ、多分、見込みないと思われていたのかな?今思えば、それしか見当たりません。
きっと、見た目の問題もあったのだと思います。ビジュアル的にイマイチですから、仕方なかったのかもしれません。
その感覚が、司会者20年間、ずっと心の片隅ありました。
だからこそ、人前で出る仕事よりも
縁の下の力持ちの仕事をしたい
そう思っていたのです。
あまりにも弱い動機で、私自身も恥ずかしいの一言なのです。
本当に新郎新婦に喜んでもらっているのだろうか?
もちろん、そんな弱い動機で目指した訳ではありません。
せめてそう言わないとね(笑)
そう、ウエデイングプランナーという職種が出てきて一層立場が変化してきた、そう感じるようになったのです。
ウエデイングプランナーは、1950年代にアメリカで生まれた職業です。
しかし日本は馴染みのない仕事でした。
実際に日本で出てきたのは、1990年代の後半でしょうか?
ハウスウエデイングが盛んになった頃と重なります。
ハウスウエデイングとは、ゲストハウスと言われる結婚式の会場のこと。か会場を貸し切りにした、邸宅ウエデイングなんて言葉で私たちは言っておりました。
出始めの時のプランナーというのは、本当にかっこいい仕事だったと思います。見た目もいいですしね。まして会場はおしゃれですから。
こんな感じです。(インスタでフォローしてくださっている会場様です)
https://www.dearswedding.jp/the-meets/
しかし、プランナーさん、その時の力は絶大でした。一言で言えば、
私たちの立場の人間に対して、言いたいことなんでも言っていました。しかも、見下された感じで、怒鳴られることもあって、人として見ていないのかと思ったくらいです。
あ、本当のことを行ってしまいました。つまり売り上げ至上主義、ミスさえなければOK.自分のメガネに適った人しか認めない、
こう書いていくと、新郎新婦のためって形だけなのかな?と思ってしまうのです。
本当に喜んでもらっているのでしょうか?お二人は満足だったのか。派手で華やかで、それはそれは夢のようで、トレンドの通りのウエデイング。おしゃれで、食事も豪華。本物のシャンパンで乾杯して、お姫様のようなドレスを着て、まさに邸宅に招いたような、絵に書いたウエデイング。
喜んでお帰りになった新郎新婦は多数だったと思っています。
しかし、一緒に仕事をした時に、いつも異常な緊張感満載。
有名ゲストハウスで司会を担当した時には、生きた心地がなく、お二人への配慮より、プランナーさんへの配慮、会場スタッフへの配慮、それだけ頭がいっぱいでした。
結果、十二指腸潰瘍、胃潰瘍と、身も心も使い果たしてしまいました。肝心な新郎新婦のことは、全く頭に無かったのだと思います。
これでいいのかと真剣に思った
度重なる、仕事への不信感。そして私は何をやっているだろう。しかし、その時はプランナーになろうと思わず、結局新しい司会事務所へ移ることを決心。
司会者としての際スタートになりました。でも目立つことは嫌だと思いつつ、紹介された会場では、ほぼ専属、私がメインで仕事をすることになったのです。それでも、私の立ち位置は、縁の下の力持ち。司会者は目立つ職業ではない、お二人のために一生懸命仕事をするものだと思っておりました。