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50過ぎてウエデイングプランナーになりました(その3)
人生100年時代を迎えて、自分にとって生き方を見直す時期が必ずやってくると思っています。
その中で仕事は私にとって大きな割合を占めるもの。生きがいは仕事といっていいのかもしれません。
50すぎたからといって、人生諦める必要は全くないと考えています。
今、何をしたいですか?やり残したことはありませんか?人に左右される人生は、自分にとっていいことなのでしょうか?
まさに自分探しの旅に出たと思っている50代。
今年の心境を語ります。
自分の心に素直になりたいと思った
気が付けば一年が終わる。こんなに忙しい年は無かったと思う、これは昨年の年末に感じた事である。
秋になって、ウエデイングの仕事だけでなく、研修の仕事が想像以上にくるようになった。しかも、地方だったり、宿泊が長くなる内容であったり。そして内容がバラエティに飛んでいた。その分勉強をしないとけない状況になったのである。
単純に考えてみたら、願ったり叶ったりのはず。ウエデイングの仕事だけではなく、幅広く世間を知りたいという思い、心のバランスを取りたいがための研修仕事であった。訪問する先々で歓迎され、私自身も勉強になったし、知らない世界があることを目の当たりにした。成長とは大袈裟かもしれないが、チャンスをいただいたと思っている。なぜか、そのころのウエデイングの仕事は結構難しいお客様が多かった。やりとりも神経を使い、あれでもか、これでもかと折り重なるような事が、心に少し辛く感じられるものがあった。
そう思うと、やり過ごしてしまった感も否めないが、それでも今まで無い経験が自信に少しだけ繋がったように感じる。
こんな私だって出来るのだという、ほんの少しの自信である。
しかし、気が付くと12月。
ほんの少しの余裕が出てきた頃に、心の奥から私に問いかける声が聞こえてきた。
「本当にこれでいいの?」
時間に追われ、いただく仕事をなんとなくこなしている。そんな仕事の仕方でいいのかと。私がやってみたいこと、理想って何なの?そんな不安が奥底にあったのかもしれない。56歳にして、やっと心の叫びが聞こえたような気がしたのである。
少し大袈裟なかのかもしれないが、年末から年明けにかけてほんの少しの時間が取れたからだろう。体調も悪く、外に出たいと思わなかったせいもあって、色々と考える余裕が出てきたのかもしれない。その時すっと心に来た言葉が
「自分のこころに素直になること」 だった
仕事だけでなく家族のことも考えてみた
当然なのかもしれないが、自分の心に素直になるということは何も仕事だけでなく、家族のことも出てくると思っている。
そう私にとって家族の問題は、長年も問題でもあったのである。
本来であれば、家族は私の支えであったほうがいいのであろう。
しかし、支えでは無いと断言したい。むしろ、私は、今の家では異端児であり、理解し難い存在であり、何をしているのかわからない人間である。
説明したとしても、聴いてもらったことはほとんどない。むしろ無視されているといっても過言では無い。
いい方悪いかもしれないが、家事をやって、そこそこに稼いでくれる人。
こうなると、私って孤独だなと感じてしまう。だから外に出ていると私を認めてくれる人がいる、一層仕事に力が入るというものである。
これをかれこれ20年近くやってきたという事実は、見直してみるとある意味脅威であるなと実感してしまった。
娘は今年で二十歳、来年は専門学校を卒業である。夫はというと既に定年を迎え再雇用の立場。ということは、半分申し訳ないが、家族のことを考えてもいい時期が来たのでは無いかと思うようになったのである。
ここまで来ると、ひとでなしだなって思われて当然だろう。しかし、足かせであったのは、実は家族の問題なのである。私は応援されるというより、
働かせってやっているだろう?
女のくせに生意気だ
何で仕事なんてするんだ?
好き勝手やっているくせに
お前に何が出来るんだ?
長男の嫁のくせして
この言葉がほぼ支配していた、言葉だけは無いかな、私への気持ち
それも夫だけでは無い、ほぼみんなの総意だろうな。
確かに当たっているだろう、私自身の反省も大いにある。
実は昨年まで蓋をしてきたことである、家族のこと
これが私のこれから人生で、見直す必要のあるものだと
強く感じたのである。