しなやかに生きてみたい



邦画のエンドロールを眺めるのが好きだ。

膨大な量の名前を見つめながら、今しがた観終えたばかりの映画に関わった人たちの、名前の由来を想像する。
顔も年齢も知らないけれど、彼らの家族や人生に、ほんの少しだけ触れられたような気がしてくる。

そうして映画の余韻と共に、愛おしさと感謝で胸がいっぱいになる。

この時間が、私にとっては、たまらなく心地よい。



きっと私は、言葉に関して新しい発見をするのが好きなのだ。

そして、それが学術的に正しいものであるかどうかには、さほど興味がない(笑)

出会った価値観がプライベートな、誰かの主観的な見解であれば尚更、私は胸を打たれる。

例えば高校1年の時。

現代文の授業で【靭】という漢字を習った。

【靭】は、音読みで「ジン」と読む。
強靭のジン。
そして訓読みでは「しなやか」と読む。


当時の現代文担当、U先生いわく、

「【靭】という漢字は、『しなやか、つまりは、柔らかくて強い』という意味を持つのです。
 
     柔くて強いとは、どういうことでしょうね。
 
     固く、頑丈であるから強い、ということではないのだと、私は思います。

 つまり、衝撃を吸収し、たわむ柔らかさがあってこそ、折れずにいられる。
 
   それが強さに繋がると。」



今調べてみても、【靭】は常用漢字扱いではないので、このくだりは、きっとU先生が余談として語ってくれたのだろう。

しかし、15才の私にとっては、比喩でもなんでもなく、本当に視界が開けるほどの発見だった。

思いがけないメッセージに、あまりに感動してしまい、それから10年たった今でも、【靭】は、好きな漢字ランキング不動の1位だ。

その時、黒板に【靭】と書いたU先生のしなやかな筆跡まで、鮮明に思い出せる。

しなやかに生きてみたい。

ぶつかっても、柔らかければ、相手も自分も粉々になることはないのだから。




言葉の成り立ちに注目してみると、この世界は、意外と愛にあふれている。
捨てたもんじゃない、確かにそう思える。

その最たるものが、人の「名前」だと思う。



新しく出会った人に名前の由来を尋ねてみる。

この人は、一体どんな想いでこの世に迎えられたのか。

どんな願いと共に、その体は大きくなってきたのか。

それを知れば、途端に、目の前の人への愛おしさや敬意が何倍にも膨らむような気がする。
合う人とも、合わない人とも。

靭やかな連鎖で人と人とが繋がっていけたら、どんなに素敵なことだろう。



余談ではあるが、もしも私に子どもが生まれたなら、その子の名前は【靭(ジン)】になるのだろうか(笑)

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