半年待ちの発達外来
噂に聞いていたとおり、「半年先」だった。娘の発達相談をするための、外来予約が取れたのは。夏の終わりに電話して、雪解けの頃に受診する。スマホを持つ手にジワリと汗が滲んだ。
発達外来に電話する。その時点で切羽詰まっていた。育てづらさや、他の子との違いに気づき、親のせいだと自分を責めたり、他人の言葉に傷ついたり。孤独のなかで試行錯誤を繰り返し、ギリギリまで追い詰められて辿り着いた場所だから。
それがまさか、半年待ちとは。絶望を通り越して、逆にバチっと覚悟がキマる。娘の未来を思えば、半年なんて「ありんこ」だ。それに私にはもう一つ、行動すべき理由があった。
およそ10年前、ライターの仕事で取材した、発達障害当事者の話。
相手は、大人になって発達障害と診断された社会人。今はサポートを得て生き生きと働いているが、受診前は生きづらさを抱えていた。幼少期から周囲になじめず、困り事が多かったものの、親の意向により受診できなかったという。
彼からの切実なメッセージを記事にして、世に発信した。そして、自ら受け取ったのだ。数年の時を経て——。
2024年2月。私は娘の手を引いて、半年待ちの発達外来に訪れた。
娘の診断結果は、ASD(自閉スペクトラム症)。医師から説明を聞き、それまで感じていた育てづらさや、違和感の謎がいくつも解けた。アドバイスももらえた。
もちろん、診断はゴールではない。あいかわらず自分を責めたり、他人の言葉に傷ついたりしながら、試行錯誤を繰り返している。受診前と違うのは、迷ったときに相談し、支援を求める先があることだ。
そもそも、発達障害者支援法が施行されたのが2005年。施行後に生まれた子どもたちは、みんな20歳未満だ(2024年9月現在)。情報もまだ少なく、悩むのは当然。言い換えれば、今の発達障害当事者や家族、支援者たちが歴史をつくる。
私はあきらめない。娘の特性を理解し、それに合う環境を模索し続けることを。