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恐怖心と向き合うの巻

「誰にも言ったことないけど、実はわたし、InstagramのDMを開くのが恐いんです…。」

先日いつものカフェで知人とお茶していたときに、ふと自分の口から漏れてしまった言葉。

そう、わたしはDMを開くことが恐い。
DMが届いていることに気づくとドキッと緊張が走り、そのDMを開くまでにも心の準備のための時間を要する。

そのことに気づいたのは、タロット占い師として個人事業を始めた3年前。
職業的あるあるかと思うんだけど、鑑定の依頼のほかちょっと困る内容のDMが届くことがあった。

ここで言える範囲で紹介してみると、

⚫︎ SNSコンサルやります系
「わたし前職でガッツリSNS運用やってたんですよぉ。もう数を追い求める世界とは離れたいんすわ..」と、いちいち言うのも面倒なのでスルー。
(この手のタイプはSNSにアップしている最新投稿3つ程にいいね!を押して、自分の存在を声高らかにアピールしてくることも)

⚫︎ メッセージ上でいきなり相談が始まる系
深夜にいきなり知らない人からのメッセージが届いてなんだろう?と思ったら「今から相談していいですか?」とのこと。

うーん、、この時間帯に思わず見知らぬ人にDMしちゃうぐらいだからひとりであれこれ考えて感情と思考の波に飲まれちゃってるのかもな〜、朝になれば少し冷静になるパターンかな?などと推測し、スルーする。

といった具合に、ほんのりモヤっとする感触を残していくDM が度々届くことがあってこの仕事特有の洗礼のように捉えていた。

そういった状況も2年目以降は落ち着き、純粋な仕事の依頼が主になっていったものの、DM開くのが恐い問題は相変わらず。

なにに対して自分は恐さを感じているんだろう?と、その詳細を言葉にしてみると、

① DMを開くまでメッセージの内容が未知数なこと
→仕事の依頼なのか、コンサルやりますよ系なのか、はたまたストーリーズへのスタンプなのか。
このメッセージのなかに何が書かれているんだろう..?! という、選択肢が複数存在する&答えが見えなくて開くのが恐い..!な状態。


② 〜〜こない?等のセミナー&その類の誘いだった場合

→そのお誘いに対して行きたくないってことを言葉やわらかにどう伝えるか文章を考えることがストレスになっている


③ 仕事の依頼や申し込みだった場合

→嬉しい&ホッとすると同時に、どんな方なんだろう?上手くできるかな?といった、その時点ではみえないことに対してあらゆる予想が始まったり、いついつまでに⚫︎⚫︎しないと、という仕事のプレッシャーとして緊張感が生まれる


大きくは上の3つに分類できた。
3つ目に関しては恐怖心というより、仕事に対するプレッシャーや緊張感なのである程度は必要なものだとも思っている。

①については、申し込み方法をDMではなくシステム化することで解消できるのでは?と思って検討したこともあるのだけど、色々思うところがあって保留にしている。

②については、以前の自分と比較するとわりと返信に困ることもなくなった。私が断ってその人がなにを思うかはその人の自由だし、そんなに気にしなくていいんじゃない?って思うようになって気が楽になったことが背景にある。


こうやって客観的に整理すると緩和策も見えてくるし、そこまで恐がらなくていいじゃんって思えるのだけど、「DMを開くのが恐いということを誰にも言ってはいけない..!」と、ひとりで抱えていたことがより自分を苦しめていたんだと思う。

「もう4年目に突入するのに、それにビビってるの?」
「早くDM開かないと、返信が遅れて相手に失礼だよ」
「え?DM開くための勇気が欲しいからカフェ行くってどんだけなん笑」

そんな声が私の脳内でやいのやいの。
そして私自身がその声を受け止める。

このことを人に打ち明けるというアイデアさえ、そもそも思いつかなかった。
些細なことだし、自分で処理しなきゃ。人に言うなんで恥ずかしい。そんな風に考えていたからだろう。


先日知人にぽろっと打ち明けてしまった際、心臓のあたりがスーッと軽くなっていくような感触があった。

「わたし、その恐さは当たり前だと思う。大なり小なり何かに悩んで相談したいっていう人から連絡を受けるんだから、それに構えるのってすごく自然な反応なんじゃないかな? 誰だって誘いを断るのが面倒だったり、行きたくないなって思うこともあるし(笑)」

↑のように私が言って欲しかった言葉を、目の前の知人が代弁してくれた。恐怖心に対して共感したり寄り添うことを、自分で自分にできていなかったんだなぁと自覚した。

と同時に、これからは私自身が自分にそう接してあげる準備が整ったんだということを悟った。


そんな何気ない出来事をキッカケにして、私のなかに潜在していた気づかないフリをしていた「本当は恐いもの」を自覚するようになった。

「薄々勘づいてたけどさ、⚫︎⚫︎って恐いよね。」
といった具合に、その他の恐さに対しても正直になろうとしている自分が、今ココにいる。


だからこそ、この文章が書けた。
同じように恐怖心とひとりで戦っている人に向けて。



あなたのなかにある何かや誰かに対する恐いよ〜!っていう声を、どうかちゃんと聞いてあげてほしい。

否定したりカッコ悪いダサいって評価するんじゃなくて、もっと詳しく教えてって寄り添ってみたら、視野が狭くなっているあなたを助ける方法に気づけるかもしれない。


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