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なにかをしないといけない気がする

タイトルの言葉は、先日数年ぶりに会った友人が口にしたもの。

なんだか妙に印象に残ったので、思ったことを少しだけ綴っておきたい。


 

Instagramや各種SNSなどを通じてなにかしら ”他者の情報” に触れると、”私も〇〇しないと“ という錯覚に陥ることがある。

純粋な気持ちでそれに魅かれるというより、何かしらの焦りと共に生まれるその対象は、果たして自分にとって本当に必要なんだろうか。


誰かと一緒であらねば、
世の流れに乗らなければ、
〇〇さんが〇〇って言っているからそうしなければ。


そういった類の動機から発生するものは、それを獲得したときに一時的な安心感をもたらすのかもしれない。

だけど、それが自分が本当に求めているものではなかった場合、または期待した結果が得られないとき、自分自身を苦しめるものになるのではないか。



フォローしているあの人が自分と同じ性別や年齢であっても、同じ地域に住んでいても、まるっきり別の人間なわけで。

その人にとって軽い選択が自分にとってもそうとは限らない。

その人にとって不要なものが、自分にとっては必要なのかもしれない。


自分の性質を知るために、他者を比較対象にするのは有効的だと思うのだけど、無意識に自分を責める材料にするような自傷行為はできるだけ避けたいもの。



何かに焦っているとき、追われているような気がするとき。

自分を無価値だと捉えてしまうとき。

とにかく一度立ち止まってほしいな、と思う。


その人たちにとって、休むことや停止することを自分に許可するのが怖いのかもしれないけど、最終的に自分を守るのは自分だから。

他の誰も自分の人生に責任をとってくれないし、そもそも他者に求めるものでもない。

どうせみんな好き勝手言うし、それでいいのだから。



「何かしてもいいし、しなくてもいいんだよ。」

その言葉がいつか届くといいなぁ。

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