手段と目的


自分は本当に時代にそぐわない人間であると思う。

現代。
情報が溢れすぎてなんでも答えを探そうとしてしまう 答えが見つかってしまう
物が溢れすぎてて均質化されてしまう。メインカルチャーもサブカルチャーも分からない

質より量
一つのいいねにかける情熱よりいいねの数やフォロワーの数で量られてしまう。

アートとビジネス、続けていくには両方が必要であると分かっている。これは勝手な解釈だが川久保玲はコムデギャルソンを続けるためにCDGを作ったのではないかと思っている。

手っ取り早さが好まれて、かつて巻き戻さないと見れなかった動画はどんどん身近になって、短くなってる。

この莫大な量から見つけてもらうことはこんなにも難しく、そして苦手とすることを取り入れなければならないのか

いつも斜に構えて穿った見方をして生きてきてしまった私が絶対にやりたくないこと、出来る人間から見つけられていくような気もする

でも私は最先端よりずっとここにあるものがいいし、
一つのものをじっくり味わいたい

だったら全て放棄してわたしの道を生きればいいや

よくある「スクールカースト」
わたしはその何処にも適さず、カーストの枠の外で生きていた。というかそれを気にしたことがなかった。そういうタイプだ。

時代錯誤的人間として気高く行く
極論、食べる物があればどうにかなるよね

まあ正直、どの時代にいても私はこんなこと言ってると思う
性根の曲った面倒臭い人間だ


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