大好きな故郷を取り扱う映画を見て、ガツンと頭を打たれた話。
からかい上手の高木さんを見て
からかい上手の高木さんとは
今日、からかい上手の高木さんの映画を見てきました。この映画は私の地元の中学校の先輩が書いた漫画が原作となった映画です。永野芽郁ちゃんが主役で高橋文哉さんがお相手役の話です。
中学生だった主人公の高木さんとお相手の西片くんの10年後を描いた、二人の淡くもかわいい青春ラブストーリーです。
この映画は作者山本崇一朗さんの地元である香川県の小豆島オールロケの作品です。作者の山本さんは3歳ほどしか変わらない先輩なので、同じ時代に小豆島でしかも同じ中学校が舞台の作品を通して、自分と重ねながら作品を見ていました。
私と小豆島
私の今のビジョン
この映画を見て、改めて頭を打たれたような気がしました。私は地元の小豆島が好きです。小豆島に貢献したくて、島を誰かと一緒により良くしたくて今行動したいと思っています。
でもそのやり方がわからなくて、どうしたら良いんだろうと同時に模索もしています。まだ全然形に見えていなくて、、、
ずっと気づいていたのですが、怖さがなぜあるのか。
それは、ここに立ち向かうには勇気と根気と、そして自分の中にある陰な部分と過去の黒歴史と向き合う必要があるのです。
なぜそう思っているのか:小さい頃の私
私は生粋の小豆島っ子で、父も母も、祖父母も(父方の祖母以外)全員小豆島で生まれ育ちました。実家は代々米屋を営んでいて、商売人の娘です。
でもこんな生粋の小豆島っ子の私は、18歳になるまで島のことをあまり好きだとは思えませんでした。
ご近所づきあいも密で、近所を歩いているだけで「あ、米屋のりかちゃんね!」とバレちゃうし、誰かと交際しようもんならデートする場所もないし。遊びに行く場所もなければ、おしゃれな服も売っていない。
14歳ではじめてコンビニが島にできて、16歳になったときにはじめてファミレスができました。
人との距離が密なため、足を引っ張り合う雰囲気があり、出る杭打たれやすく、うまくいっている人の足を引っ張る力学が働くことがあるなと感じていました。
だから生きていくためにはなるべく地味にして目立たないようにしないと生きていきづらい雰囲気を感じていました。
私は自我が強く、自由にのびのびとやりたいことをやって、生きていきたいタイプです。
友達と一緒に何かをやりたいわけでもなく、やりたいことをシンプルに自分でやっていきたいタイプ。
だから友達に疎まれたり誤解されたりして、同級生や友達との人間関係を築くのにもすごく苦労しました。
本来であればこう表現したい自分を押し殺して、周りの目を気にしながら合わせながら生きていく。そんなことを生存本能で思ってきた18年間でした。
早く島を出たいと思っていたし、そのために大学に死にものぐるいで勉強してきて、18歳のときに京都の大学に出たときに「やっとシャバに出られた」ような感覚がありました。
でもいざ島を出てみると、気づくのです。
島の温かさ、アットホームさ、故郷があることのありがたみを。島は私の故郷であり、居場所である。「出たからこそ分かったこと」がたくさんありました。
なぜそう思っているのか:再び島に帰る私
その結果、気づくと「香川で、いや地元の小豆島で教員がしたい」と思うようになりました。
それは中学時代一番苦しかった悩んでいたころの自分みたいな生徒を助けたいという思いだったし、過去の自分を癒すために必要なことだったのかもしれません。
22歳で香川県の先生になり、26歳で小豆島へ戻って教壇に3年間立ちました。
この3年間は私にとってはすごく今振り返っても人生で一番充実した楽しい3年間だったなと思います。
残業時間は160時間を超え、土日は部活動で消え、24時間先生としての立ち振舞が求められる働き方でした。
でも私のビジョンは「島を良くする、島を支える子どもたちに教育を通してもっと豊かな人間になってもらうこと」
だから辞めたいと思ったことは一度もなく、島に戻った教員生活は自分の誇りであり、自分を癒す作業でもあり、小豆島に対する自分の捉え方をアップデートする瞬間でもありました。
でもそんな私にも「自由でもっと羽ばたきたい」と思う気持ちがまたもやむくむく湧いてくるようになります。
なぜそう思っているのか:2度目の島を出る日
一度目は、18歳のとき大学を出た日。2回目は結婚をして東京に来るタイミングでした。
2018年3月、島を出る日。多くの島でお世話になった生徒や保護者、関わりのある人がたくさんお見送りに来ていただきました。
私の夢が一つ大きく叶った小豆島という場所。かけがえのない居場所。でもまたもや島を出ることになります。
それは私にとっては一生に一度の人生の挑戦でもあり、「自分を生きる」ために必要な作業だなと感じていました。
納得のいく人生を送るために、妥協せず本当にやりたいことをやるために、私は島を出る決意をしました。
教え子たちが島にたくさんいて、いつでも「おかえり」といえる環境。
島にいて教員をすることの魅力をすごく感じていた一方で、どこか「自分が求めていることはこれではないのではないか?人生このままで良いのか?」と考えている自分がいました。
その結果が、東京にいる彼氏のもとに結婚していくという決断でした。
なぜそう思っているのか:島を出て東京へ
私はアイデンティティや個性をなくしたような気持ちになり、東京迷子になりかけました。東京に来て刺激は多いものの、知り合いもほとんどおらず、周りにもうまく馴染めないみたいな日々でした。
学校で働いていたものの、「島のために」教員になった私からすると、自分のビジョンをすっかり見失い、学校の先生の仕事に魅力が薄れていきました。
もちろん結婚生活は楽しかったですし、東京でしか出会えない人、こと、場所がたくさんありました。
でもどこか「自分の心の故郷から離れて、一人ぼっちでいるような」感覚になっていることが続きました。
現状の私から見る小豆島の姿
もともと小豆島は平安時代から京都との交流があり、江戸時代も政府の直轄の幕領地です。
近年では観光地として賑わい、一番多いときは人口が6万人を超えていました。
現在の小豆島の人口は24,000人です。この数年間でさらに減っていく予想です。
街に一つずつ医療が維持できなくなり、統廃合が進み、産婦人科がなくなりました。私が小さい頃は20程度あった小学校が、今では6つ程度に減りました。船といった交通のインフラが減り、ますます過疎化が進んでいます。
島以外に住む私から見ても、コロナ禍以降の島の観光客の減り具合や相次ぐ飲食店やホテルの倒産は目まぐるしいものがあります。
この姿を見た自営業を営む父は昔あんなに島のために活動していたのに、あきらめムードでいます。
もう誰にもこれを止められないのか・・・・私の大好きな故郷がなくなってしまう。私の故郷が故郷でなくなってしまう。
どうにかして食い止めないと、どうにかして何か自分にできることはないか、日々そんな思いだけが巡っています。
まして過去日本政府の調査が小豆島にやってきたことがあり、小豆島の現在の状況は30年後の日本を表しているという調査もあります。
これは小豆島の現状を変えていくことが、日本の未来を変えていくことだと思っています。
だからこそ、自分には何かできないかと日々焦りと不安をつのらせています。
もちろんここに危機感を感じて、島の中から何をアクションを起こそうとしている方たちもいます。その方たちと組んで何かできないかなと思ってもいます。
今の私にできること
もちろん今すぐにでも小豆島に家族みんなで移住して、島の中から変えるというのが一番早いのかもしれません。でも家族の仕事があって。
大事な我が子がいる今はそれができない状況でもあります。
また、私は島にいてもまた自分のやりたいことが他に見つかって、すぐに島を出ることになるかもしれません。それも怖いです。
だからこそ今の自分が、大好きな島のために何ができるかというと
この程度かと思っています。
本当はやりたいこと
もし制限なく自分がしたいことをあげてみると
こんなことを思っています。今はこのビジョンが大きすぎて怖くて、やろうと思えばすぐに実現するものもあるけど、たじろんでいる私がいます。
でも自分だけではできなくても、きっと誰かと縁がつながって何かできるときが来るのではないかと思っています。
もしこの文章を読んだ方で、一緒に何かやっても良いよ!こういうことできるんじゃない?!という方はご連絡をいただけたら嬉しいです。一緒に何か島のためになることをやっていきましょう。
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