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私と、小豆島と、ときどき部活動。


この記事は、私の通うコーチングスクール、THE COACH ICP の仲間と綴る『アドベントカレンダー』2024年夏のテーマ、「陽炎(かげろう)~今見ている物語~」に寄せてはじめてエッセイとして書いてみようと思います。

私にとって夏の思い出とは?

夏、陽炎というテーマをいただいて最初に浮かんだのが、地元小豆島での記憶だ。

小豆島は瀬戸内に浮かぶ人口26000人の、日本で20番目の大きさの島だ。

当たり前だが離島なので、360度周りが海に囲まれている。

だから今住んでいる東京より日差しが断然きつい。ゴールデンウィークに1日外にいたら、真っ黒に日焼けしてこんがり焼けるほどだ。

夏は太陽を見ようもんなら、眩しさで目が眩むというよりも、痛すぎて目を向けられない。

小豆島の夏の風景(ネットより拝借)

だから島に住んでいた高校を出るまで、と就職して島で学校の先生として働いていたときは今よりずっとこんがり焼けていた。

夏になると、暑すぎるのでプールに入りたくなる。

小学生のときは毎日プールに行っていた。プールが好きで、1日に朝昼晩と、ご飯を食べるかのように、プールで泳いでいたこともある。

プールで泳ぎながら漂っている瞬間。外のアスファルトには思いっきり陽炎が登っていた。

中はとっても涼しくて冷たくて、楽しくってワクワクする場所。外に出れば思いっきり暑くて、そのコントラストが好きだったのかもしれない。

私が小1の夏。ちょうどお盆明けに弟が生まれた。

急遽帝王切開で生まれることになったので、慌てふためく父や祖父母を横目に、私は弟が生まれる喜びよりも、プールに行けないことのショックのほうが勝っていたくらいだ。

帰省してきた親戚のおばちゃんにもこんがり日焼けしすぎているせいか、「暗闇で写真を撮っても歯しか映らないね」と言われていじられていた。

ピアノの先生にも、「そんなに泳いだら溶けるよ」と笑いながら冗談めかしく揶揄されたこともある。

そう言われたときは、小学校中学年だった私は「なんて大人って笑いながら嫌なことを平気で言うんだろう」とちょっとムッとしていた。

でも今となっては、私の青春の思い出であり、夏といえばプール。青春を思い出す瞬間でもある。

そんな私が34歳になった今も思い出す、今回のテーマである「陽炎」。

陽炎と聞くと思い出す、青春の思い出を2つ紹介したい。

陽炎登る、思い出


私は中学生のとき、テニス部に所属していた。中学校3年の夏。

運良く地元開催ということもあり、全国大会にチームで出場することができた。

中学生のころの私。

てっきりお盆前には終わると思っていた部活動。

全国大会はお盆を超えた、夏の終わりに予定されている。

中3の夏といえば、そろそろ部活動から勉強モードに切り替わるタイミングだ。

私も同様で、夏期講習があった。離島ということもあり、船に乗って高松まで片道1時間半かけて毎日通わなければならない。

毎日結構な量の宿題も出る。宿題を帰りの21:00ごろの船の中で終わらせ、朝7:00に起き、暑い中部活に行く。

灼熱の中真っ黒になるまで、ボールを追いかける。

帰ってシャワーを浴びてご飯を駆け込んで、12:00の船に乗って夏期講習に行く。また夜最終便で島に帰る。帰っても宿題をして、起きて部活に行って…

そんな生活をしていた。

全国大会。夢にまで見た、想像もしてなかった大舞台。全国各地からテニスに命をかけた選手が集まる瞬間。

夏の暑い、香川での試合。相手は東京の強豪校だった。

どんな球を打っても、すぐ返される。得意なサーブも決まらない

結果は歴然としていた。ストレートで負けて、コーチから出る瞬間。

これで中学生活の最後のテニスか…。

そのときコートを振り返ると、陽炎が登っていた。

おつかれ、今までご苦労さま。がんばったね」

そう背中を押されるような気がしていた。

「そうか、終わったんだ。私の夏…」

私が戦った香川県生島テニスコート

そのとき、まだチーム自体は終わってなかったけど、負けて悔しい気持ちと、あっさり完封負けしたことでの清々しさを感じていた。

それからときは経つこと、13年後。

小豆島に学校の先生として、再び島に足を踏み入れる。

私はバレー部の顧問として、日々緑色のボールではなく、白いボールを追いかけていた。

正式には追いかけていたのは、子どもたちであり、私はサポート役だ。

バレーの経験のない私は、補助と事務と、子どもの心のケアとして部活動を任されていた。

が、そんなに生ぬるいものではなかった。バレー部は重鎮の先生、コーチが率いる強豪チームだったからだ。

年中お盆とお正月以外、355日がバレー漬けになった。

ボール出しの手伝いをする私

自分のテニス部でも、日曜は休みだったので、こんな部活三昧な生活は正直始めてだった。

毎週末には四国・中国地方まで遠征に出かけ、日中はバレー、夜は宴会。また起きて仕事に出かける。そんな日々を過ごしていた。

お盆はよさこい祭りで賑わう、高知に遠征に行く。

よさこい祭りは、暑い夏に高知を舞い踊る夏の風物詩だ。

3泊4日のバレー合宿。合宿所に寝泊まりするため、クーラーはない。暑い36度を回る、合宿所で寝泊まりする。

朝起きて合宿所のご飯をいただき、車に乗って会場に行く。そのときに車から降りると、

あぁ今日も1日が始まるのか…」

アスファルトには陽炎が登っていた。

当時はこの生活から正直早く抜け出したい、ずっとはやっていられないと思うくらいハードな毎日だった。

当時保護者の方に「こんな部活三昧できるのも、今だけだから、子どもを精一杯サポートしたい」と言われたことがある。

「なんて聖人君子みたいな人なんだ。包容力が違うな。すごいな」とシンプルに思っていた。

今なら気持ちがちょっとだけ、ほんのちょっとわかる気がする。

汗をかきながら、コートを這いつくばる瞬間。
負けた悔しさ、勝ったときの喜び。
一緒に喜んでくれる仲間の存在。

没頭できることがある。
今を感じながら、今しかない瞬間に集中する。

青春できるほどのめり込むことがあることって尊いし、有り難い

フリーランスになった今、部活動のように汗を振り乱して熱中できることはめっぽう少なくなってしまった。

なんだかそこにつまらなさやせつなさを感じることもある。

ただこのコーチとしての仕事は、日々部活動をしているような気持ちになることがある。

うまくいかないこともある、うまく出来ないことがあって負けを味わったような気持ちになることもある。

でもその先、一歩先のまだ見ぬ自分の可能性を追いかけたくて、毎日こうやってnoteを書いている。

この先、どんなことがあるかわからない。

どこにたどり着くかも、わからない。怖くもあり、不安でもある。

どこにもたどり着かないかもしれない。でも必死に「あぁでもない、こうでもない」と今を生きている。

あのとき、部活で経験した陽炎のように、そのときには味わえない、感じきれない青春ってある。

そのときは苦しくて、逃げ出したくて、嫌になっても、後で「よかったな」「この経験とっても貴重だったな」と思う瞬間がくるときがある。

きっとフリーランスとして駆け出し途中のこの2024年の夏も、きっと未来からみると「陽炎登る」夏なんだろうな

陽炎を感じたくて、青春を感じたくて、日々今日も生きている。

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夏の間、THECOACHの仲間が毎日記事を書きます。

明日以降のアドベントカレンダーもお楽しみに!どうぞふらっと遊びにきてくださいね^^


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りかちゃん|新庄りか
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