行ってらっしゃい。ーおかえり。今日も1日お疲れ様。
○被災者ではないわたし
○復興へ進む東北での暮らし、成長したいわたし
▼被災者ではないわたし
11年。
わたしは大人になりました。
当時小学生だったわたしが多くを理解するには
まだ幼なすぎたかも知れません。
福島県相馬市
わたしの生まれ故郷です。
『出身地は?』
「福島県です。」
『東北か!福島県のどこなの?』
「相馬市というところです、海沿いの、端っこの方の。」
『相馬か!じゃあ震災、大変だったでしょう。』
11年間、何回もしてきた会話です。
出身地の話=震災
これに関しては、仕方ないというか、そうなるだろうと思います。
あれだけ衝撃的な
あれだけ悲惨な出来事が起こったのですから。
ただ、わたしの場合、これに一つ追加事項があります。
わたしは被災者ではないということ。
わたしは、震度7の地震を経験したことがありません。
震災当時、たまたま東京に住んでいたのです。
もちろん、関東も大パニックでした。
私たち家族も、一緒に住む家族全員の無事を確認できたは良いものの、
東北に住む祖父母、親戚、知り合いの安否確認は、難しいものでした。
テレビを付けると
信じ難い映像が目に飛び込んできます。
沢山の水が、街を「飲み込む」。
しかも、わたしの故郷を。
ただその映像を見ていることしかできませんでした。
幸いなことに祖父母や親戚は、無事。
命を落とすことは免れました。
▼復興へ進む東北での暮らし、成長したいわたし
約2年後、わたしは東北へ戻ることになります。
まだ復興が始まっているとは言えない状況の東北へ、
被災を経験していない、東北出身のわたしが。
頭では理解しているつもりでも、実際に経験していない分
どうしても分かりきっていない、感じ取れない部分が出てきます。
東北に戻ってからの6年間で
多くの被災者の方から色々な話を聞きました。
被災地で色々なものを見ました。
演劇を作って、伝えようと舞台にも立ちました。
あえて「色々」と大雑把に書きます。
やはり詳しい話を思い出すのは、苦しいです。
それでもいまだに、なんとなく理解しきれないモヤモヤが
心の奥底にあるような気がします。
大人になると同時に、震災から何を学んでゆくのか、
被災していないわたしが、何か伝えられることはあるか。
全てを理解できなくても、苦しくて向き合えないことがあっても、
少しずつでも残して行こうという気持ちだけは、忘れたくありません。
そして毎年3月11日は必ず思い出すようにしています。
「行ってらっしゃい」と「おかえり」が
必ずしもセットではないということを。
大切な人の存在に。
平凡な日々に、感謝を。
まだまだ少しずつ、できることがあるかも。
高羽里奈