短編『出せないメール』
『お久しぶりです。お元気ですか?』
慣れない手つきで叩いたキーボードは、大きく拍動する私の心臓とは裏腹にカタカタと軽やかな音を響かせる。
仕事以外でメールをうつのなんて何年ぶりだろうか。仕事のメールを送ったのだってまだたったの数回で、送信ボタンを押す度に手が震えそうになるのに。
この自分用のGmailアドレスだって、使ったのは何年ぶりか。この子が活躍していたのはそれこそ、LINEなんてものが出来る前、私が中学生のときだ。友だちと学校以外でやり取りできるのが新鮮で、毎晩夜遅くまでパソコンに張り付いて親に怒られた、懐かしい記憶。
その時に交換した、たった一度やりとりをしただけの人に、10年近く経ってから今こうしてメッセージを送ろうとしているのだから人生わからない。
ただちょっと、元気かな、って気になって。
同級会で中学の友だちと会って、好きだった人の話になって。2年間遠くから見つめるだけだったあの人を思い出して。そういえば卒業の日、2年間で溜め込んだ勇気を全部使って、メールアドレスを交換してもらったな、なんて。
急に何?って驚かせちゃうかな。そもそも私のことなんて覚えていないかも。メールアドレスだって変わってるかもしれない、けど。
部員が帰った体育館で備品の整備をしていた私にたった1人、いつもありがとう、と声をかけてくれたあの笑顔を、もう1回だけでも、見ることが出来たら。
何十回と見直した文面から目を離して、落ち着けるためにいれたココアに口をつける。熱い。猫舌の私にはまだ飲めない。先に送れってことか。
カーソルはとっくに送信ボタンの上にある。マウスの左側を軽く押すだけでいい。それが、画面を触れるだけの送信ボタンより遥かに重いだなんて、あの時は知らなかった。
ええい!声に出して押し込む。2時間分の葛藤を背負ったそれは、虹色の輪の回転を助走に、あの人のパソコンへ飛び立った。
____________戻ってきたのは数秒後。読む気も失せる、大量の英文に囚われて。
あー、うん、まぁそうか。そうだよね。
さっき飲み損ねた、熱すぎるココアに手を伸ばす。手に馴染む頃には、ちょうどいい温かさになっていることを信じて。
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