身勝手で幼いいきもの
「わたし、文章を書くのが好きなんですよね」と
ふとした時に、人に話すことがあります。
でも、言いながら同時に「書いてどっかに出したりとかはしてないんですけどね」と
心のなかで勝手にふてくされるというか、言いきれない歯痒さのようなものを感じていました。
じゃあ、書けばええやん。
そう思い、このたびnoteをはじめてみました。
何を書くかとか、どんなスパンで書くかとかは決めずになんかゆるっと「文章を書く」をやってみようかなと思います。
手始めに、はじめて繋がりということで。
先日、はじめて親の本音をきく機会がありました。
内容はというと、それはそれは身勝手で、何なら幼さすら感じるものでしたが
それを剥き出しで差し出してきたという目の前の事実が、ものすごく圧倒的でした。
わ、この人、本音言うてる。
そう目の前の親を眼差したとき
自分のなかが、からっぽになる心地がしました。
それはいやな感じとかじゃなくて、むしろたぶんあたたかい種類のものなんですけど
自分のなかに、あるとすら思っていなかった透明の渦巻きのようなものがあったらしく、しかしその存在を認識する暇もないまま、どうやらその渦巻きは止んでしまったらしいと知って呆然とするような、そんなからっぽでした。
なにそれ。なんか渦巻いてたっぽいのに。
え、なに?渦巻いてたって。
は?なにそれ。
は?
なにそれ。
言語化すると、なかなか情けない感じになります。
そんなからっぽですけど、動きがないので静かで、風が止んだので段々とあたたかくなってきて
でも自分でやろうと思って起きた変化ではないので、どこか置いてけぼりで
は?と思いつつも、心地わるい訳ではないのでなるがままにまかせて
そうしてあらためて、この人、本音言うてる。ってなったとき
わたしの口をついて出たのも、本音でした。
からっぽだとか、身勝手だとか、幼いだとかって
どうにもマイナスなイメージがあります。
本音はだから、とってもマイナスです。
あらゆるものを取り去って、ひっぺがして、そのひとの内にあると知らぬものすらずけずけ取り上げて
すん、としています。
なんやねん。
本来なら腹も立つし、きっと怒ってもいいことをされている。
それなのに、そうはならない自分をゆっくりと見つけたとき、その馴染みのない自分のなかみを眼差します。
マイナスって、悪いんやったっけ。
でもさっきまで、信じてたのに。
わたし、マイナスは悪いって信じてたのに。
あれ、でも、悪くないってことならうれしいな。
でも、むかしあの人に、マイナスって悪いですよねーってわたし言ったな。
なんなら説得したな。
あれー。
そうしてまた、わたしのなかに新たな渦巻きがうまれたことを知り、しかしそれは由来もはじまりもしっかりと知っている、紛れもないわたしの渦巻きであって
それであれば、まあ、ぐるぐるして差し上げましょう、なんて笑えたりするのだから
わたしってなんて身勝手で幼いいきものなのだろう、と思うのでした。
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