今若理歩

今若 理歩 Riho Imawaka ものつくりとして、主に絵を描いています。 ht…

今若理歩

今若 理歩 Riho Imawaka ものつくりとして、主に絵を描いています。 https://www.instagram.com/riho_imawaka_works/

最近の記事

「自分と向き合う」ということ

自分と向き合う、とは、なんだろう。 自分と向き合う、とひとことで言ってみても、まずその「自分」というものがよくわかりません。どこか漠然としていて掴みどころがなく、ようやく見つけたと思ってみてもするりするりと手をすり抜けてしまうし、それを追いかけた先でまったくちがう「自分」を目の当たりにして驚いたりもします。目の前の椅子にちゃんと座っていてほしいのにいつまでもふらふらふわふわとして落ち着かない、そんな「自分」というものとどう向き合えというのだろう、と、わたしはいつも釈然としま

    • 山の頂上から見た景色

      ずっと、山の頂上から見た景色が描きたかったのです。 わたしは自分の過去の作品を見る時、なんとも言えない気持ちになります。一言で言えば恥ずかしいのでしょうか、とにかく頭のあたりがぞわぞわして、身体もなんだかじっと出来ず、作品を直視することができないのです。我ながら自意識過剰だと思います。ですが、そう言って自分の恥じらいを一蹴したところでわたしの中に確かに存在する恥は消える訳もなく、わたしは変わらず自分の過去の作品の前でひとり悶えているのです。 どうしてこんな心地になるのだろう

      • AIに絵を描いてもらうこと

        AIが描いた絵が、わたしはちょっと苦手です。 うまく言えませんが、どこか無機質な感じがして、じーっとみていると底のない空洞のなかを覗きこんでいるような心地になり、すこしこわくなるのです。 だからわたしは、AIが描いた絵をあまり見ないようにしていました。しかしそういった絵を見かけては避けるたびに、わたしはどうしてこんなに苦手なのかとすこしモヤモヤとするのでした。わたしが絵を描く人間だからというのも、多少関係あるのかもしれません。ですがよくよく自分の感情を感じてみると、単に苦手

        • イニシャルG線上のアリア

          イニシャルGがきらいです。 イニシャルGとは、黒光りするからだでキッチンなどに出現するあの昆虫のことです。その正式名称を口にするとき、わたしは特有の抵抗のようなものを感じます。名前を言い切るか否かのあたりで、ちょっと眉のあたりに力が入る感じがするのです。ですので、正式名称を避けて、以降はGと呼ばせていただこうと思います。 Gってどうしてあんなにもおそろしいのでしょう。別段こちらに危害を加えてこないはずなのに、わたしは彼らを見ると血の気が引くほどこわくなります。実際かつて不意打

        「自分と向き合う」ということ

          怠惰なペペロンチーノ

          冬のしんと冷えた空気が好きです。 暖房の効いた部屋にいる時間がつづくとわたしは、あの冷たい空気が吸いたくなります。人工的なあたたかさでふやけた頭が、冬の空気で元に戻るような心地がするのです。そういう訳で今日もわたしは、ベランダに出て深呼吸をしていました。夕暮れ時ですが部屋のなかで感じるよりも外は明るく、建物も道路も寒さのなかどこかしんとしています。空はやわらかな青で、ところどころに薄いピンクを少し混ぜたような雲がぽかっと浮いています。そんな様子を見るともなく眺めつつわたしは、

          怠惰なペペロンチーノ

          てさぐり

          白黒つけることが好きでした。 これは正しくて、これはまちがい。 これは良くて、これは悪い。 これはセーフで、これはアウト。 白黒つけることはわたしにとって、片付けに似ています。熱を帯びた頭のなか、散らかったさまざまな概念を見つめ、分類し、棚にしまう。そうして頭のなかを整然と片付けて把握しておくことに、達成感や安心感を覚えるのです。例えるなら、爪切りやハサミをどこにしまったか把握しておくのと同じように、あらゆる概念を必要なときにサッと取り出せるように頭にしまっておく感じです。

          味噌汁のなかから転がり出たもの

          味噌汁がすきです。 とりわけ具沢山なもの、これは汁より具を食べるためのものですね、といった感じの味噌汁がすきです。 なのでわたしは味噌汁をつくるとき、いつもこれでもかというほど具材をたくさん入れます。今朝食べた味噌汁を例にあげると、じゃがいも、にんじん、えのき、大根、さつまいも、木綿豆腐を、それぞれ鍋の中に溢れんばかりにぎゅうぎゅうと詰め込みました。くたくたに煮込んでやわらかくなったそれらが器のなかでひしめき合っているさまにほくそ笑み、ひとつひとつを味わうように噛みしめると

          味噌汁のなかから転がり出たもの

          ありもしない星座のひかり

          久しぶりに、眠れない夜を過ごしました。 といっても嘆き悲しむような類のものではなく、やりたいことや楽しみなことがつぎつぎと思い浮かび、わくわくしすぎて眠れないような、いわゆる遠足前の子どものような状態です。 わーこれいいな。絶対やろう。 あ!それもいい!えーーどうしよう、眠れへん困る! そんなことを考えながらベッドに横になって目を瞑り、かれこれ小一時間ニヤニヤしている訳ですから、なかなかに怪しい光景です。 この閃きたちは一体なんだろう。 なんだか流れ星みたいだな。チカチカ

          ありもしない星座のひかり

          あたまとこころ

          どうにもならないことってあります。 たとえば、お気に入りのグラスを割ってしまうこと。 ガシャン、と音がして、え、となる。わたしだけかもしれませんが、あのとき少しの間、あたまが現実を拒否する感覚があります。割れているはずがない、どうか割れてないで、と願掛けする感じというか。 しかしきっちり割れているグラスを確認して、割れている、これは割れているな、そうか、割れたのか、とじんわり「どうにもならない」と理解します。 ここで言う「どうにもならない」とは「割れる前の状態には戻らない

          あたまとこころ

          冬の花と目が合うとき

          もうそろそろ冬ですね。 今日買いものに出たとき、ちらほら冬の花を見かけました。小さかったり、白かったり、鮮やかなピンクだったり、見た目はさまざまですが、みんな一様にしずかな感じがします。 夏の花って、元気ですよね。 目が合うとこんにちはー!って感じがします。こちらもつられてこんにちはー!ってなるというか。なにか弾力のあるボールとかをギュウギュウしてポーンとどこか行ったのを追いかけるような、ケタケタ笑うような、そんなハツラツさがあります。 それに対して冬の花って、目が合うと

          冬の花と目が合うとき

          身勝手で幼いいきもの

          「わたし、文章を書くのが好きなんですよね」と ふとした時に、人に話すことがあります。 でも、言いながら同時に「書いてどっかに出したりとかはしてないんですけどね」と 心のなかで勝手にふてくされるというか、言いきれない歯痒さのようなものを感じていました。 じゃあ、書けばええやん。 そう思い、このたびnoteをはじめてみました。 何を書くかとか、どんなスパンで書くかとかは決めずになんかゆるっと「文章を書く」をやってみようかなと思います。 手始めに、はじめて繋がりということで。

          身勝手で幼いいきもの