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音と肌コミュニケーション

■患者様■
90代 女性
消化器疾患 熱発による入院

元老人ホームに入所。当院で症状が緩和されるまで入院。
過去の病状により失明。左耳は高度難聴。
うわごとのように「怖い・・・どうしてそんなことするの・・・やめて・・・助けて」と発せられる。
一瞬、認知症がある?と思ったが違いそう。視覚情報が遮断された状態で世情に詳しくなるのは不可能。なんなら今日は「いつ」なのかという軸となる情報が欠落しているので、同じ環境に自分が置かれたら同じこと言ってそう・・・とおもった。

右耳に話しかけることでご家族のことやご自分のこと、今いる病院のことなどしっかりと把握され理解される。

ただ、よほど怖かったのか、上記の言葉を連続的に発せられている。

心のにどしんとくる。

■取り巻く環境■

音と皮膚感覚の世界。
目に移る色はなく、人との間合いを図る術を音や皮膚感覚に依存する状態。

その方が視覚絶対主義世界の住人に支援を受けるとどうなるでしょう?
答えは明白。



【恐怖】


住む世界が違う者どうしのコミュニケーション方法は再考の必要がある。

■視覚が無き介護・医療■

視覚世界では、だれかがこちらに近づいてくるのがわかる。ぼんやりとでも来ることが分かれば心持ちは違ってくるでしょう。

  ・着替え、清拭、24時間のオムツ対応
  ・環境整備のベッド清拭
  ・お茶配り・配膳
  ・バイタルチェックや輸液などの看護支援
  ・各種検査やリハビリテーション

入院中、人とのあらゆる接触は音と皮膚感覚の世界の住人にとっては
「強襲」となってしまうという事実。

すこし過激な表現であり、双方を分けてしまうような表現ですが
仕事を通して感じたことを言葉にするとこのように感じかなと。

「触りますね」
という音の速さにほぼ同じタイミングで触れが生じる。
ただし、視覚世界の住人は前もって『見える』。


音と皮膚感覚の世界の住人にとっては、前もってが『ない』。
『触れ』が初発となる。しかも唐突に。

恐怖でしかない。



そうなると当然、恐怖を取り除くことが必要となる。

だが、現場は時間と多忙に追われる。
自分に与えられた時間のなかでコミュニケーションを構築しないといけないため、画一的な対応となってしまうように思う。現場のNsと助手さんはたしかに頑張っている。


多忙だから「しかたない」を「こうしたらどうだろう」と工夫できるのが介護・医療の仕事人達。一辺倒な介護ではなく患者によって対応をかえる。これがスペシャリストであり、介護・医療人の尊敬される点である。私はそう思います。

凪からそっとふく風のようにやさしく、
聞き取りやすい声色で、
患者さんがふと耳を澄ますような言葉がけでコミュニケーションの突破口を見つける。そこを工夫できるのが専門職。


ただね、自分たちがまさに音と皮膚触覚の住人となったらどのようなことが出来るだろうね。なった側の思考や行動については、まだまだ課題しかないや。困ったね・・・。

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