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三代目市川猿之助(二代目猿翁)の汗を受け止めたあの日々

見上げた暗闇に輪郭を淡くにじませたそれが浮かんでいる。
七色の尾以外、純白に包まれたそれは人なのか、鳥なのか。

頭を覆う冠からは幾本かの触覚に似たものが揺らめき、広げた羽根の一枚一枚が空調の効いた劇場の客席から舞い上がる千に近い驚嘆の吐息を受け止めている。
この浮遊には揚力はいらない。ワイヤで吊るされた宙吊りだからだ。


それはヤマトタケル。三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)が演じるヤマトタケルだ。

白鳥となったヤマトタケルが夜空を流れる彗星のように中日劇場を横切っていく。


その移動に合わせて見上げる首も反り返っていく。
ちょうど真上に到達したとき、きらりと光るなにかが羽ばたく羽根の隙間からこぼれ落ちてきた。
あ、と思う間もなく頬に当たる感覚に気づく。
指先で触れると濡れていた。

汗だ。猿之助の、ヤマトタケルの汗だ。

その汗は、
煌びやかな衣装と豪快な立ち回りと高揚の音楽と、そしてラストの宙吊りに彩られた外連味に圧倒され自然に流れ出た涙と混じり合い、記憶の結晶として30年以上経っても未だ前頭葉奥深くに留まり続けている。


歌舞伎、という芸術には興味も関心もなかったけれど、三代目市川猿之助(二代目入川猿翁)のスーパー歌舞伎だけは欠かさず観に行っていた。

いま思えば、ほんの短い間だったけれど、猿之助のスーパー歌舞伎は「推し」だった。
ご冥福をお祈りします。


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